「ひぐらしのなく頃に」から考察する、認識の断絶とライトノベルの可能性

東京駅にですね、ひぐらしのなく頃にの、おっきなポスターが貼ってあって、梨花ちゃんがとってもかわゆいので、ちょっと考えてみた。
ひぐらしのポスターの、かわゆい梨花ちゃんの隣には、「連続殺人」だとか、「犯人」だとか、「謎」とか、「解き明かす」などの言葉が並んでいます。
ボクの認識として、ひぐらしは「本格ミステリ」ではなく、謎を解き明かす対象ではない、というのがあるわけですが、どうやら、「一般的」には違うようです。
──広告に書かれている内容が「一般的」だという仮定でですが。
ミステリになじんでいる人の認識としては、ミステリにもいろいろあって、本格からハードボイルド、サスペンスなどなど、とあるけれど、「論理的」に「謎」を「解決」できるのはあくまで「本格」ミステリのみであり、その「本格」ミステリには、様々な「制約」が課せられている。その「制約」を遵守していない「ひぐらしのなく頃に」は、「本格」ミステリの範疇には入らない、となっているんじゃないかと思います。
#「本格」とは? と考えはじめると終わらなくなるので、「制約」など細かいところは別途。
#個人的には、シナリオごとにストーリーが「断絶」している=シナリオごとに解決が為されなければならない、と考えるので、ひぐらしは本格ではない、と考えます。
で、今回言いたいのは、それじゃあどうして「ひぐらしのなく頃に」が「ミステリ」として──それも、謎を解くタイプのミステリとして売り出されているのか? と言うところです。
結論としては、「普通」の人は、それが「ミステリ」だと思ってるから、と言うことになります。
「普通」の人が「ミステリ」と言われて何を思いだすか? というと、大体は、「火サス」「土ワイ」の2時間ドラマ、「金田一少年の事件簿」「名探偵コナン」のような推理マンガじゃないでしょうか。良くて、新本格の中でも、「本格」とは少し毛色の違った京極夏彦森博嗣になるんじゃないかと。
ええとですね、つまりは、「殺人事件」「密室」「アリバイ」「名探偵」とか、そういうイメージなんですよ。
いくら、ミステリ者が、トリックよりもプロット! と叫ぼうと、ロジック最高! とか言おうと、何それ? というわけなんですよ。
つまり、「ひぐらしのなく頃に」は、「普通」の人が考えるところの「ミステリ」にぴったりなわけで、そりゃ、売られ方も「ミステリ」としてになるよなぁ、と。


それでですね、これってミステリだけに限った話じゃないよなぁ、と。
例えば、SFと聞いて何を思いだしますか?
ヒーローが宇宙で活躍する冒険活劇?
それなんてスターウォーズ
例えば、「文学」と聞いて何を思いだしますか?
自意識過剰な青年の、悲劇的な人生?
それなんて人間失格
例えば、萌えアニメと聞いて何を思いだしますか?
幼なじみをはじめとするクラスメイトとの、甘酸っぱい青春ストーリー?
それなんて東鳩──って、これはそれだけじゃねぇな。
というわけで、結局のところ、その「ジャンル」の外にいる人には、内部でどんなことを言ってようと、わからない──わかろうとしない?──ものなんじゃないかと。
JavaC++のようにまったく違うものでも、プログラムを知らない人から見れば同じように見えるのと一緒で。


さて、そろそろ着地点探し。
実は、こういう現状の外にいるのが「ライトノベル」じゃないかと思っている。
ライトノベルと言えば何を思いだすか? と言えば、「萌え絵の表紙」だったり「異様に砕けた文体」だったりとするわけで、意外に内容については、共通認識的なものは出てきにくいんじゃないか、と思っています。
まぁ、もちろん、涼宮ハルヒシリーズに代表される学園ものとか──アレをそのままストレートに学園ものにするのは若干違和感がないでもないけれど──、いわゆるセカイ系とか、ライトノベルの始まりとも言えるファンタジーものとか、それなりに代表的なものはあるけれど、それら「全て」に共通するような認識って、ある?
もしかすると、めがっさすごいラノベ読みの人にはわかるような共通点はあるかもしれないけど、今考えてほしいのは、「普通」の人──「涼宮ハルヒって、何?」とか言う人でも理解しているような共通点。
日本という国で成人するくらいまで生きていれば、「ミステリ」とか「SF」とか「文学」とかに対しては、それなりに認識ができます。──それが、あっているか間違っているかは別にして。
それであれば、「ライトノベル」は?
ライトノベルの歴史が、他に比べて新しいと言う点や、元々が青少年向け、という問題点が挙げられるのはわかりますが、それでも、年配の方は別にしても、現在20代の人には、何らかの認識があってもおかしくはないんじゃないかと。
もし、若い人の間にも認識が広まっていないとすれば、それは、さらにチャンスです。
ライトノベルの「世界」──というよりも、「守備範囲」?──が、今よりもどんどん広がっていく余地があると言うことになるんじゃないかと。
権威というものに押し込められた「文学」ではなく、映像文化に搾取された「ミステリ」でもなく、技術指向の衰退に泣いた「SF」でもなく、認識が固められていない「ライトノベル」が、次世代を拓く「小説」になるんじゃないか? と思うのです。


ええと、まぁ、アレですね。
エンジェルモート」の「制服」は、思わずお持ち帰りしたくなるので、梨花ちゃんよりもそちらをポスターにしたほうが良かったんじゃないか? ということで。

[Today's tune]電波塔/ASIAN KUNG-FU GENERATION