うれしの荘片恋ものがたり ひとつ、桜の下(岩久勝昭)

うれしの荘片恋ものがたり ひとつ、桜の下 (富士見ミステリー文庫)

うれしの荘片恋ものがたり ひとつ、桜の下 (富士見ミステリー文庫)

MYSCONまでにライトノベルのミステリーを読んでおこうプロジェクト。
──季節は春。
桜はその花弁を、「秒速5センチメートル」で踊らせる。
そんな季節のストーリー。
分類するとすれば、いわゆる「日常の謎」系のミステリじゃないかと。
意外なところに入っていたヌイグルミの謎とか、寂しげな寮の秘密とか、森に香るワインの香りとか。
そして、小さな謎の向こうには、「彼女」という一番大きくて、大切な「謎」があったり。
ええと、この日記を読んでいる方は先刻承知のことと思いますが、ラノベとかミステリについて書く際に、その小説の「構造的」な側面から書くことが多いです。
それは、ミステリというのが極めて形式的な小説ジャンルであることが大きな原因のひとつなんですが、そうやって構造的な側面から見ていくと、ミステリ以外のジャンルでも、自分の考えをまとめるのに有効な場合がある、という理由もあったりします。
特に、ライトノベルとくくられる小説群は、多種多様なジャンルのごったに状態になっているので、この手法が結構役立ったりします。
まぁ、本読んで、どこが良かった、とか、どこに萌えた、とかただ書くよりは、ちょっと良いかなぁ、と言うくらいのものですが。
で、つい先日も書きましたが、ミステリと言えば「探偵(読者)ー事件(小説)ー犯人(作者)」なわけで、ライトノベルと言えば「主人公(読者)ー経験ーヒロイン(作者)」つまりは「ボーイミーツガール」というわけなんですが、そう考えるとミステリとラノベの構造を重ね合わせよう、というのは極めて自然な考えになると思います。
あ、ちなみに、ミステリ構造の元ネタは笠井潔ですが、ラノベはボクがいい加減に考えたものなので、突っ込みどころがあれば、いくらでもコメントなどでご指摘願います。
さて、ついこの間の「セカイのスキマ」の感想で、主人公を探偵、ヒロインを犯人(謎の根源)と考えれば、うまい具合に構造が重なるんじゃないか? と書きましたが、セカイのスキマよりも、うれしの荘のほうが構造的にはきれいだなぁ、とか。
主人公とヒロインが恋に落ちていく過程と、「謎」が解き明かされていく過程が、良い具合にはまってるというか。
ちょっと簡単にまとめてみると、「探偵が主人公となり、ヒロインに関する謎を解き明かす場合には、ライトノベルは「ミステリ」の形式にマッチしやすい」という感じだろうか。
ゴシックシリーズのように、探偵をヒロインにすると、構造的に難しいところが出てくるんだけど。


とりあえず、ボクはイラストもない「ゴーグル」に萌えた!

[Today's tune]もういいって/Syrup16g