文学フリマ本、表紙できました!&紹介用掌編
というわけで、ちょっと前に告知しました、「思索部シリーズ 紅葉抄」@文学フリマ(5/10)の表紙ができました!
# 告知エントリhttp://d.hatena.ne.jp/kazutokotohito/20090501#p2
# 文学フリマについてはこちら(http://bunfree.net/)
# うち(Nth Library)のスペースは「B-43」です。
さて、表紙はこちら!
もう、トウカさんには感謝です!
当日は、大きなイラストでお出迎え? とも考えていますので、
この素敵なイラストを目印に、蒲田の大田区産業プラザPiOの「B-43」まで、ぜひおこしください。
で、とは言っても、
「表紙が良いのはわかったけど、中身ってどんなの? ライトミステリ? ちょっと百合とかよくわかんないんだけど……」
というのがあると思いますので、ちょっと雰囲気がわかるかな? というのを書いてみました。
図書館の死体
長屋 言人
図書館の中、小説──特に、推理小説が並ぶ棚を、わたしは希依子の隣で見つめていた。
「推理小説は、死に彩られているわ」
希依子が、一冊の本を手にとる。
そのタイトルは、「モルグ街の殺人」。
「一番最初に、死があった。密室状況での、不可思議な殺人事件。そこから、幾千、幾万もの殺人が続いているの。
ドイル、ポー、クリスティー、クイーン、カー、ダイン、乱歩、小栗、夢野、中井、横溝、連城、島田……あらゆる推理小説が死をかたどっている。彼らは、全てその小説の中の死に責任を持っているの。罪に問われるかわりに、自らを十字架にかけ続けている」
そう言って、次の本を手にとる。
「冒険小説ならば、自分も冒険した気になれば良い。そうすれば、どこへでも旅立つことができる。SFなら、どんなに遠い星でもいけるし、どんなに高度な科学技術だって意のままに操ることができる。歴史小説なら自分の好きな時代を生きることができる。恋愛小説なんて、自分が望むような恋をいくらでもすることができる。その恋がどのような結末に終わろうとも、喜ぶのは自分だけだし、悲しむのも自分だけ。純文学だって、自分の心の中を、考えたことを叫べば良い。
でも、推理小説は違う。
推理小説の本質は、あくまで死。
冒険小説家は、遥かな地への旅を望んだ。
恋愛小説家は、燃えるような恋を選んだ。
推理小説家が選んだのは、死。
そして、罪。
ならば、それを読む私は、何を望むというの?」
希依子が、わたしに問いかける。
「わたしたちが、推理小説に望むもの──」
血塗られた物語に、いったい何を見ているのか?
「許されることへの渇望……」
わたしは、希依子の手をとる。
まるで、推理小説から溢れ出した血液に濡れているかのような。
とくとくと流れ続ける、おびただしいほどの血液。
禁断の果実を前にしたイヴのように、わたしは吸いよせられていく。
「さつき──」
彼女の声が聞こえる。
ああ、でも、今はその唇よりも、濡れた指が愛おしく感じられるの。
細くて白いその指は、錆びた鉄のような味がした。
という感じで、ほの百合っぽい感じです?
文学フリマ、もちろん僕以外のサークルさんも(きっと)素敵な本をいっぱい準備してくると思いますので、
5/10は、ぜひいらしてください。
お待ちしてます!