将来なんて考えるよりも今の自分を見つめ直せ

タイトルに特に意味はないです。


AI AI SINK! ライトノベルの将来像の一考察
AI AI SINK! ライトノベルの将来像の一考察 その2


とりあえず、ここで七瀬さん述べられている「将来」というのが、来年なのか、5年後なのか、10年後なのか、それとも100年後なのか、全く触れられてはいないので、そりゃ、20年30年も経てば、ここで書かれていたような展開もあるんじゃないかなぁ、とか。
今から20年前と言えば、ドイツが統一されたりとかで、こりゃ世界は変わるなぁ、と思ったけど、それでも、まさか NYのビルに飛行機が突っ込むことになろうなんて思ってもいなかったし。


ただ、そういう今からじゃ予想できない未来の話は脇に置き、今でも分析、考察できるところを見てみるだけでも、上のエントリで書かれている内容は少し的を外していないか? と思う。

私はライトノベルのほとんどが同工異曲の、「キワモノ」であり、才能のない作家は一作品、二作品を発表して登場をやめる。

という記述に関してですが、現状の分析としておかしいと思います。
#いや、日本語もおかしいんだけど……


確かに、多くのいわゆる「ライトノベル」と呼ばれているものは、
同工異曲と言われてもおかしくはないですが、
それをもって「キワモノ」というのは、ちょっと違っていないかな? と。
この人が言っている「キワモノ」というのが、具体的にどういうものを対象として示しているのかは不明なので、具体的な議論ができないのですが、新人のデビュー作には、一般的に「売れている」という作品とはちょっと違ったものが多いような気がしています。
つまり、同工異曲な作品ではなく、間違いなくオーダーメイドな作家自身の小説で1作、2作と出しているパターンが多いと思います。
ラノベの場合、1シリーズ=1作と数えるのか、1冊=1作と数えるのと
#どちらが妥当かは難しいですが。


その2の方で触れられている、

しかし人気作品の中には、文学的な要素(人間の生き方や人生、物事の考察や感動)を含んだ娯楽小説も散見される。

という記述から推し量ると、おそらくは、
(いわゆる)萌え小説=キワモノ
という内容を示しているんじゃないか? と推測できるわけですが、
すでにこの前提が違うんじゃないか? と。


現状としては、デビューしたての新人が先鋭的な意欲作(七瀬さんが言うところの純文学的要素を含んだ作品)を書き、次第に今はやっている小説(七瀬さんが言うところのキワモノ)を書くようになる、というものなんじゃないかと。


この流れで、最近やっぱりなぁ……と思ったのが、瑞智士記だったわけです。
フォルマントブルーとか、あまがみエメンタール、あかね色シンフォニアのような、音楽を中心としたり、女の子同士の危うい関係を丁寧に描いていくのかなぁ、と思ってたら、次にきたのが星刻のドラグナーだったんで……
ぼくが良いなぁ、と思ってたところがまるっと全て捨てられて、新しい道にに行ってしまったなぁ、という感じで……いや、それでも、ぼくは好きな作家が売れてくれればそれで良いんですよ……


あと、新創刊されたこのラノ文庫にしても、今の売れ線とはちょっと違う作品ばかりがそろいました。これは、レーベルの方針? というところはまだちょっとわかりませんけど、いわゆる「萌え」からは少し離れたところにある創刊ラインナップが、売り上げ的には苦戦しているというのが、twitterなどで流れているのを見ます。


ということは、現状、読者としては、

ライトノベルの読者層は中高生から20代頃だろうと思うが、この年代は特に、単なる娯楽だけではなく、作品に「何か訴えてくるもの」を求めるのが自然な傾向である。

なんてものは求めてなくて、

  • 萌える
  • (分量的に)読み応えがある
  • (アニメなどメディア的に)広がりがある

というところの方を重要視してるんじゃないか? と思うのです。