export/importと台風と傘と道具について考えてみたこと

 週もあけて台風も来たからか、はてなダイアリーからはてなブログへのexport/importが再開したので、やり始めてみた。
 はてなダイアリーでは2,383記事書いていたらしい。
 2004年からはてなダイアリーを使っているはずなので、単純に年平均すると、1年あたり170記事程度を書いているはずなので、まぁ、後半はほぼ書いていなかったとはいえ、以前の自分はよく書いていたと思います。

 というわけで、雨が降ると、人は傘を使うわけで、駅に傘の持ち方啓発ポスターが貼られていたり、TwitterなどのSNSでは他人の傘の持ち方を注意する意見が出て来たりすることも多かったりするわけですが、あれは、傘の持ち方という単純矮小な話ではなくて、その人が道具というものをどう扱っているのか、という意識が現れる場所のひとつなんだと認識しています。
 傘の先端がどこに向いているのか、いわゆるひとつのマズルコントロールができているのかできていないのか、というところで、銃も弾を撃つだけではなく、持っているとき全てが重要であるのと同様に、傘だってさしているときだけでなく、持ち歩くときにも意識をするべきものであって、そこに意識がないということは、その道具を本当に使えているとは言えないのではなかろうか、と。

 敷延して考えると、道具というものは、畢竟人間の能力を延伸せしめるものであって、例えば、紙やペンというのは、記憶能力や情報伝達能力を拡充させるものであったり、メガネやコンタクトレンズというのは視力を強化するものであり、補聴器などは聴力を強化し、自動車や電車により、他の動物よりも速く長く移動できるようになり、飛行機で空まで飛ぶことができる。
 自分の腕がどこにあるのかわかるのと同じように、使っている道具もどこにあるのか、正しく認識できるように。
 自分ができているかどうかはわからないけれども、それは意識しておきたい、そう思います。思いました。