僕らはきっといろんなものに救われながら、誰かを救っているのかもしれないという話

 なんとなくだけど、こういうのって良いなぁ、と思って読んだりした。

withnews.jp

 音楽に限らず、小説とかマンガとか映画とか舞台とか絵画とか、まぁ、いろんなものに救われるということはあると思っていて──というより、そういうことがあるというのを信じているんだけど、そういう救われる時っていうのは、そのものが素晴らしいというのと同時に、見たり聞いたりしている自分の状態とかタイミングというのも大いに関係していると思っていて、むしろ、そのものに対する世間的な評価なんかよりも、見たり聞いたりしているタイミングとか、自分の精神状態だとか置かれている状況だとか、周りの状態とか、そういったものの方が要素としては大きいんじゃないかな、と思っています。

 例えば、自分がめちゃくちゃ救われたと思っていたり、これは自分の歌だ! と思ったものでも、何年か経って冷静に考えると別にそれほど名曲というわけではなかったりだとか、ぶっちゃけ○○のパクリじゃん……って思ったりすることもあるんだけど、でも、聞くとその当時のことを思い出したりして、その思いは絶対に嘘じゃないと思うので、やっぱりその曲を捨てるようなことはできなくて。

 大人な視点から言うと、そんなのはただの感傷であったり、いわゆる思い出補正だったりすると思うんだけど、一方で、感傷でも思い出だっていいじゃないか、と思う自分もいたりして、できるのであれば、その頃の思いは大切にしたいと思うわけです。

 記事の中で触れられている「Tell Your World」は自分も好きな曲だし、最初にこの曲を使ったGoogleのCMを見たときには、マジで泣きそうになるくらいには感動したのを覚えてます。


Google Chrome : Hatsune Miku (初音ミク)


記事の中の文章を引用すると、

「君」は作り手であり受け手でもある。そうして作り手と受け手を、人と人とを次々と結びつけていくのが初音ミクのあり方、「Tell Your World」はそういう歌だった。

とありますが、初音ミクをはじめとしたボーカロイドを使った音楽もそうであるように、他の音楽も、小説もマンガも、すべての向こうにはそれを作ったクリエイターがいて、それを受け取る自分がいて、聞いたり読んだり見たりするというのは向こうにいる誰かと手を繋ぐという行為なんだなぁ、というのが、とても素晴らしく、愛おしく思えます。

 で、結局何を言いたいかというと、どんどんと色々なものに触れて、いいものをたくさん見つけて、自分はめっちゃこれが好き! というのをどんどんと言っていきたいな、と改めて思ったりしたのでした。