りゅうおうのおしごと!12巻を読んだので感想を書こうと思いました

 

りゅうおうのおしごと! 12 (GA文庫)

りゅうおうのおしごと! 12 (GA文庫)

 

 

 はい、表紙の銀子ちゃんかわいいですね。
 うん。かわいい。
 という本題に入る前に前置きです。

 

 正直、羨ましいと思った。
 八一がではなく、いや、確かに、
『頓死しろリア充。ぶちころすぞ』
 というくらいに羨ましくはあるけど、それよりも、鏡洲さんが、椚が、辛香が、坂梨が、そして、於鬼頭が、銀子が羨ましい。
 彼等が戦う盤上は、恐ろしく、とても美しい。
 なぜ美しいのか。
 それは、彼等が一刀のもとに相手を斬り伏せようとする白刃の舞う場所であるから。
 そんな場所が、美しくないはずがない。
 そして、そんな場所で戦う彼等が感じる、あの、チリチリとした、空気が焦げ付くような、深海に沈められたような、感覚が研ぎ澄まされていくような、痛みが鈍くなっていくような、何か真実のようなものか、深淵のようなものか、神か悪魔か、自分が溶け出していって明確な意識の白刃を貫くような、そんな感覚をどうしても羨ましいと感じてしまう。

 その感覚は、将棋だけじゃなくて、たぶん、囲碁とかチェス、麻雀やe-sportsでも同じだろうし、リングの上でボクサーが感じるものと同じかもしれないし、ピッチの上で選手が感じるものと同じかもしれない。
 もっと言うと、ステージの上でシンガーが思うこととか、キーボードの前で小説家が考えることとか、高座で落語家が感じることとかと同じかもしれない。または、研究者が思考に沈殿するときに沈み込む場所と同じかもしれない。

 その感覚を味わえない自分がとても悔しく、彼等が羨ましい。

 だから、月夜見坂さんや鵠さんの気持ちが少しだけわかる。
 いや、もちろん、自分は彼女たちのように強くはない。
 けれど、戦いたい相手が遠くにいて、自分たちではそこには届かないことを知っている悔しさ。自分への怒り。何よりもその場で戦うものたちへの羨望。それを考える自分への嫌悪。
 たぶん、自分が感じるのは、彼女たちの何分の一にも満たないだろう。
 戦うことを焦がれて、炎を遠くに見るだけの悔しさを。

 

「ここが! この戦場が! 私の魂の場所よ!」by マグノリア・カーチス(ACVD)

 と叫べる場所を求めて。

 そして、ちょっと古い映画だけど、ディア・ハンターという映画がある。
 ベトナム戦争を扱った映画の傑作として名高い。
 徴兵でベトナム戦争へと行った若者たちの物語です。
 戦争で戦った一人の若者の姿に、棋士たちの姿をどうしても重ねてしまうのです。

 

 

 というわけで、ここから本題です。
 いやー、銀子ちゃんかわいい!
 なにこのいきなりリア充になったらリア充のやり方わからなくてドギマギする感じというか、そりゃ桂香さんもあんな反応になるわ! ええと、今まで押さえつけていた分いきなり爆発したって感じ? 爆発するのはリア充の証拠ってやつ?
「誰よりも高く飛びたいなら、誰よりも低く身構えるのさ」
 ってやつですか? ジョー・ストラマーかよ! 秘密とか言ってるくせに所構わずいてもいなくてもいちゃつきやがって……桂香さんじゃなくても爆ぜればいいのに! とか思うわ! 俺も桂香さんと一緒にストロングゼロ飲むわ!
 そして天衣ですよ!
 はい、しんだー。
 まさかの一手詰みで拙者しんだわー。
 まずさ、登場人物紹介からしてかわいいのよ。
 ほんとね、ずるいのよ。
 散々大人っぽいところとか子供っぽいかわいさとか出してて、素直になるところは素直になるし、覚悟を決めた強さというか、九頭竜一門会議のところとか、とっても良かったのですよ。そして、やはり、シートでローリングな♡にそこもとの心も(I can't get no)Satisfactionなのでござるよ。