「黄色花の紅」「バニラ」から「リコリス・リコイル」までの流れみたいなものを振り返り

 リコリスリコイル。なんかすごく人気みたいですね。
 かわいい女の子とハードなガンアクション。うん、これは人気出るわ。千束かわいいし。

lycoris-recoil.com


 というわけで、折り返しも過ぎてストーリーもこれから佳境に入っていくだろうというリコリスリコイルの原案であるアサウラさんの小説を振り返って、アサウラ作品──特に初期作品で描いてきたものからリコリスリコイルで描かれているものを見ていきましょうというのが今回の趣旨でございます。

 

 まずは、アサウラさんのデビュー作である「黄色花の紅」。第5回スーパーダッシュ小説新人賞の大賞受賞作で、集英社スーパーダッシュ文庫から2006年に刊行されていますが、今はKindle unlimitedで読むことができますので、ぜひそちらを読んでいただければと思います。

 

 ざっくりと言うと、守られるだけの存在だった紅花が、自分を守ろうとした母親のように慕う奈美恵の怪我をきっかけに、自分で戦う力──銃を手にして、激しい戦いの中で本当に戦うための力を手に入れるお話です。アクションシーンの連続に手に汗握ること間違いなし! で、特に、紅花が仮面の男と戦うシーンは非常に熱いものがあり、最後の戦いで迷いながらも立ち上がり、弾丸よりも強い思いを胸に歩を進める姿に見える戦う少女の強さはとても良いものだと思います。
 途中途中で挟まれる、銃器関係(特にハンドガン)のマニアックな知識は、そこまでいらんやろw と思ってしまうくらいですが、アサウラさんだしなぁ……とその人となりをある程度知っている今なら思わず草生やしてしまうようなご愛嬌ポイントです。その辺り、リコリコでも千束の銃の構え方がC.A.R.システムからウィーバースタンスに変わるところに注目! と言ってみたりで、この人変わってないなぁ、という微笑ましいポイントですね。

 

 続いて「バニラ A sweet partner」も同じく集英社スーパーダッシュ文庫から2007年に刊行されており、Kindle unlimitedで読むことができます。

 

 こちらは、ひょんなことからライフルを手にした女の子二人──ケイとナオが自分たちの思いと愛を貫き通すアクションノベルで、どうしようもない境遇とか状況の中で大切なものを見つけて、確認して、そのために全力を尽くしていく姿は、どことなくテルマ&ルイーズを思い出したりします。銃という戦うための力、今を変える力を手にしたか弱い二人が自分たちを守るために、二人の思いを守るために戦い続けた少女たちの結末は!? というストーリーですが、もう一人の主人公とも言える中谷刑事をはじめとする警察の面々も非常に良いキャラクターになっています。はぐれものだから、大人だけどケイやナオたちの気持ちを考えることができる。けど、大人だからそれは回りくどいし不器用だし……と、読む人の年齢とか性別によって、どちらに感情移入しやすいのか、と言うのも、電子版あとがきで書かれていることですが、興味深いところだと思います。

 

 その後は、皆さまご存知のように、アニメ化もされた「ベン・トー」で一躍飯テロ作家として名を上げ、飯と銃の集大成でありアニメ化不可能(各企業に怒られそう)な「デスニードラウンド」で法務に目をつけられたり、「生ポアニキ」で筋肉作家の地位を確立し、「サバゲにGO!」でサバゲ作家の第一人者となり、「シドニアの騎士」のノベライズや、ゲーム「AKIBA'S TRIP」のシナリオなどなど、さまざまな活躍を見せており、満を辞して、リコリスリコイルでアニメストーリー原案ということになります。

 

 こうして見ると転換点となったのは、やはりベン・トーと言えるのではと思いますが、「銃で戦ったりなんだったりしたって、人間それが全てじゃないし、腹は減るしやることだってやる」というアサウラ作品の特徴とも言える日常とバトルの連続性というところについては、展開上の都合だったりするかもしれないですが、「黄色花の紅」でも「バニラ」でも見ることができると思います。「黄色花の紅」ではあづみの店のご飯を食べたりとかシューティングレンジに集うボンクラ共の描写だったりとか、「バニラ」では遑屋の描写に後の飯テロ作家の片鱗を見たりとか。リコリコだと、さらにそれが進んで、主な舞台として喫茶店だったり、ドンパチやった後にボドゲで遊んだりとか、日常とハードな展開が裏返しだったりするわけではなく、すぐ隣にある、地続きなところが見えると思います。奇しくも、刑事が言っていた、日常を守るために〜という言葉とは裏腹に、日常とハードな世界っていうのは分けられるわけじゃないんだよね、というのが、特徴になっているのではないかと思うのです。

 もうひとつ流れとして見えるところは、弱い存在だったものが、力を手に入れるというのはどういうことか、そして、その力を手に入れてどうするのか? と問いかけているところです。「黄色花の紅」では銃という力を手に入れた紅は自ら戦い、最後はもっと強い力で、一人で立つことを選びました──もちろん隣にはたくさんの人がいるけど。「バニラ」では、どうしようもない閉ざされた世界から抜け出すための銃という力を手に入れたケイとナオが、その力で最後にはかけがえのないものを手にすることになります。
 また、以降の作品でも、この特別な力というのは特徴としてあると思っていて、ベン・トーだって半額弁当という栄誉と食への渇望自体が特殊能力っちゃ特殊だし、デスニードラウンドは初期2作で出てきた工藤商会を思わせつつ、借金返済のために銃という思わぬ力を手にした主人公の話だし、道-MENなんかはそのまま特殊能力の話だし、最たるものは生ポアニキの筋肉ですかね。
 という感じに特別な力──その象徴としての銃──だとか、その力をもって何を成し遂げるのか、何を手に入れるのか、ということを描いてきてますが、リコリコでは何を成し遂げるのか、という点が、これからクライマックスに向けて描かれていくのではないかなぁ、と。その特別な力の象徴というのが、アラン・チルドレンであり、千束と彼が持つものであり、クライマックスではその力と力がぶつかり合うのではないかと思うのです。

 そんなわけで、アサウラさんの初期2作からリコリスリコイルへの通じる流れをさらっとみてみました。個人的には、ひたすらボドゲやるだけの回とかひたすら千束がボンクラ映画について語るだけの回とか見たかったり、せっかく喫茶店なんだからもうちょっとコーヒー関連でグッときても良いのになぁ、とか思ったりするわけですが、まとめとしては、千束の
「ちっさとがきったぞーーーーー!(ドアばーん」
がめっちゃ良くてですね、うん、千束かわいいよ千束ということで。