鏡像の敵(神林長平)

鏡像の敵 (短篇集 ハヤカワ文庫 JA (810))

鏡像の敵 (短篇集 ハヤカワ文庫 JA (810))

人殺しを書いているからと言ってミステリではないように、機械や宇宙を書いているからと言ってSFだと言うわけじゃない。
本格ミステリを表す言葉が謎と解決であるように、SFを表す言葉といえばセンス・オブ・ワンダーだろう。その言葉の定義についてはいろいろと意見のあるところだとは思うが、センス・オブ・ワンダーという言葉自体に異論はないと思う。
今、こうしてなんの疑いもなく生きている自分たちの存在について少しでも思考を巡らせることがあったら、それがきっとセンス・オブ・ワンダーのはじまり。そこからもう一つの世界、もう一つの自分が始まっていく。
「鏡像の敵」は、神林長平の1980年代発表の6編を集めた初期短編集。
もう一つの自分を探す原動力となる喪失感、自分がいる場所がどこなのか、その不安感。
きっとどこかで誰かが待っている。今ここから抜け出せば。
閉塞感を打ち破ろうとする力は、書かれた時代よりも今のほうがふさわしいんじゃないだろうか。
当然であることを、ほんの少しだけずらしてみよう。
桜坂洋の解説にある、フェンシングの剣で突いてからブザーが鳴るまでの描写。
あの短い文章には、このずらすことの例がうまく表現されている。
レイヤーをずらす、フェーズをずらす、いや、何をずらしたってかまわない、自分の存在を思考で揺さぶってみることで、新しい何かが見えるのだろうから。

[Today's tune]Something Must Break/Joy Division