文章の即時性

推敲という言葉がある。
推すか敲くか、そんなのどっちでも良いだろうという気がしないでもないが、やっぱり音を文章で描くというのは比較的効果的なテクニックだと思うので、やっぱり結構あてになる故事なのかもしれない。
さてこの推敲という言葉があるおかげで、とにかく文章を書いたらじっくりと推敲するのが良い、というのが常識となっています。
実際、一度書いた文章を冷静になって見直してみたりするのは重要なことで、誤字脱字というのはいつまで経ってもなくならないし、うっかりとした事実誤認なんかも結構あったりする。そういうのをちゃんとつぶすにはやはり推敲というか文章の見直しというのはなくてはならない作業なのだろう。
ただ、推敲を繰り返すことで消えてしまうものも確かにあるというのも、否定できないんじゃないかと思います。
ジャズのジャムセッションなんかのように、そのときにしか産まれ得なかった奇跡のような文章というのがあっても良いんじゃないかと思うんです。
そう考えると、小説にはどうしてもそう言うのが少なくて、詩や短歌、ちょっと端を狙って演説だとか、そう言う類のものを求めるしかないのかな、とか。
まぁ、結局何が言いたいかというと、ヴィレッジ・バンガードで奇跡が産まれたジャズだとか、アップル・ビル屋上のライブだとか、何十万人も一度に集まるフェスだとか、そういう計算できない奇跡がいくつも存在する音楽というものにちょっと嫉妬してしまったと言うことで。

[Today's tune]Pennyroyal Tea (From "MTV Unplugged in New York)/NIRVANA