秒速5センチメートル/新海誠監督

そんなわけで、渋谷に行って観てきたよ。
ええと、湘南新宿ラインのホーム、ハチ公改札から遠くない?
それに、渋谷って、オタクの領域じゃないよね?
それにしては、お客さんはオタクっぽい人多くない?
などなど、数々の突っ込みどころはありつつ、観てきました。


雲のむこう、約束の場所」のような長編ではなく、合計1時間の連作短編映画でした。
前2作のようなSF色はほとんどなく、「いつか」「どこか」で「経験」したことがあるような、いや、それは幻想だってわかっているけど、ちょっとシチュエーションを変えれば自分の経験に置き直せるような、そんなストーリー。
中学生、弱さと、大人に変わりゆく、そんな季節の始まり──桜花抄。
遠くへ飛び立たなければ行けない、その準備は終わったと突きつけられる、自分よりも少し先を歩いているような、「彼」の「彼女」の背中が、妙に切なく感じられる──コスモナウト。
そして、いつしか忘れてしまった、どこかへ置いてきてしまった想い。「ボク」が「ボク」であることをもう一度思いだすために──秒速5センチメートル
ボクの周りの街に、風景に、ひとつ言葉を加えるだけで、視界は詩的に広がっていく。
秒速5センチメートル」。
これが、何の速さかは、まぁ、映画を観てのお楽しみということで。
とにかく、まずは映像に目を奪われてばかりでした。
鳥が空へ飛び立つシーンとか、電車から見える一面の雪景色とか、南の島の、高い波とか、サトウキビ畑の間を縫うようにして伸びる道とか、迫るようにそびえる高層ビルとか。
特に良いなぁ、と思ったのは、駅の描写。
「桜花抄」と「秒速5センチメートル」で、同じように駅の描写があったわけですが、「桜花抄」では大きく見えていたはずの駅が、「秒速5センチメートル」では、どこか狭く感じられるようになっていたり。映像を一度観ただけなので記憶違いかもしれないですけど、やっぱり視点の違いというか、なんというか、そういうのがあるのかなぁ、とか。
ボクが今まで見てきた──今、見ている、この目の前に広がる光景が、これだけ素敵に広がるのか、と思いました。
ストーリーは、まぁ、公式サイトとかを参照して頂くとして、今回思ったのは、「セカイ系」というものは、本当にもう「終わった」んだなぁ、ということで。
ほしのこえ」とか「雲のむこう、約束の場所」とかは、いわゆる「セカイ系」の代表作のように言われていますが、秒速5センチメートルについては、まったく別のものになっているなぁ、と。
というよりも、「キミとボク」だった世界が、どんどんと広がっていく、そんな経過になっているなぁ、とすら思ったり。
そうすると、「秒速5センチメートル」──とりわけラストシーンというのは、表面上のものとは、また違った意味を持ち始めるんじゃないだろうか。
そんなわけで、ラスト、山崎まさよしの主題歌が流れて、それまでの情景がフラッシュバックしていくシーンが、本当に良かった。


あの頃の自分を思いだしてみたり、通り過ぎてしまった過去を切なく思ってみたり、自分を囲む風景が違って見えるようになる、そんな映画だと思います。
たしか、「雲のむこう、約束の場所」の感想でも書いたんだけど、この「どこか懐かしい気持ちになる」というのが新海監督の特徴なんだろうなぁ、と。
ちょっと前までは、ジブリとなりのトトロあたりが、「日本の原風景」なんて言われて、郷愁を誘ってたみたいですが、はっきり言って、ポンプで水を汲んだり隣に電話を借りに行く、といったことを知らない世代からすると、はっきり言って「ファンタジー」なわけで、学校帰りのコンビニでパックのジュースを買ったりケイタイでメールしたりとか、そういったほうが「現実」であり、自分の近くに感じるんですよね。


というわけで、観られる人はぜひ観てみると良いと思う。
──ボクも、なんか懐かしい気持ちになったな。
久しぶりに、手書きの手紙とか出したくなったような気がするよ。


──やぁ、久しぶりに手紙を書くよ。
キミのいる街は、きっとまだ肌寒いんだろうけど、
ボクがいるこの街はだんだんと暖かくなってきて、
職場の近くにある酔街の桜並木とか、
帰りに通る、暗い公園の桜の木とか、
きっと、もうすぐ咲いて、
秒速5センチメートルの花びらを散らすんだろうと思う。
──ねぇ、まだ、ボクのこと、覚えてる?

[Today's tune]ギルド/BUMP OF CHICKEN