で、今日に過ぎって仕事ですよ〜。
というより、なんだかやる気が出ない……いや、やることはちゃんとやってきましたが。


ひぐらし、進まず。
ミニゲームをちょっとやったくらい。
れなぱん。指が脳の指令について行かないことが。
SFB。トラックボールでは細かいポインティングが非常に難しいのです。
移動速度はマウスより速い自信はあるんですが……
まぁ、そんなこと言いながら、一応両方ともクリアしてみましたが。


そうそう、ひぐらし関係でちょっと一言。
ひぐらしについて考えるとき、物語としてのメタ構造にまで踏み入れなければいけないことは確実です。
早い話が、鬼隠し編綿流し編、これらは違う事件だと言うことです。
……いや、当然だろうと思うかもしれませんが、これは非常に深い問題です。
鬼隠し編の犯人がAという人物であっても、綿流し編で同じAが犯人であるとは限らないわけで。
これは、犯人についてだけ言えるのではなく、それ以外のすべての要素にも言えることです。
最も懐疑的な態度をとると、すべてのキャラクターが同じ名前で同じグラフィックであっても、すべて別のキャラクターであるかもしれないと言うことで。
鬼隠しのレナと、綿流しのレナとは、違うキャラクターだと言うことです。
だから、綿流し編で得られた証拠を、鬼隠し編での解決には用いることができないわけです。
これは過去の事件についても同様なわけで、鬼隠し編での過去の事件と綿流し編での過去の事件とが同一であるという保証はありません。


しかしですね、ひぐらしのなく頃に、は、極めてメタ視点というものが重要になるのでは、と思うのです。
作中繰り返し、圭一はゲームの枠を超えて勝負を決めます。
また、穿ってみれば、お疲れさま会も、メタ的なものを示している、と見られます。
メタ的な物語を解き明かすには? やはり、すべてのテキストに目を通すしかありません。
その一文一文すべてが、真実へとたどり着く道しるべなのですから。
……というわけで、ここまで来て初めて、作中で行われているゲームや、それぞれのシナリオの相関関係がヒントとなるわけです。
ええと、言ってること、宜しいでしょうか?
つまりは、ひぐらしのなく頃に、を普通のミステリとしている場合は、作中のゲームなどを根拠に推理することは、やってはいけないわけです。JJマックの序文をもとにして、国名シリーズを解き明かしてはいけないというのと同じです。
というわけで、本格ミステリ狂いは、いつもそんなことを考えてるんだ、と言うことでひとつ。

[Today's tune]baby Brings Bad News/22-20s