午前中は課会でふむふむして、昼からは期初ということで課長と面談。
一応は、何とかがんばれているみたいです。
そこでちょっと話したんですが、やはりSEというのはそういう系の人が多いせいか、技術系は良くても対人折衝系が苦手、と言う人が多い、そのせいで辞める人も多い、ということで。
……ええと、それ、よくわかります。
だって、自分がそうですから。
できれば人と話したくないとか、一人でいたいとかは序の口で、
口を開けば鬱だとか死にたいだとか、そんなことしか言わないような人間なので。
けれど、それじゃあ、寂しいじゃないですか?
ただ死ぬだけなら、今すぐにでもできる。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ勇気を出せば良いだけ。
でも、死なないのは、自分が死ぬことでたくさんの人に要らない迷惑をかけるから。
数少ない友人だとか、同僚とか先輩とか上司とか、それより誰よりも、両親に。
それが、それだけが自分には耐えられないから、だから死なない。
もし、もし仮にそういう人たちみんなが、私の死を望んでいるとしたら、それが、彼らの本当の幸いになるのだったら、喜んで死にます。
で、そんな私がどうして、技術よりも人と話す方が大切とも言われるSEをやっているかというと、それが面白いから。
どうせ生きなきゃいけないなら、人と繋がっている方が良いじゃないですか。
この世の中で、一人で生きていくなんて絶対にできないんだから。
いくら孤高を気取ってみたって、そうやって食べているコンビニの弁当は誰が作ったんだ? とか、世を儚んで読んでいるその詩集だって、誰が印刷して誰が運んで誰が売っているんだ? とか。つまりは、自分がこうしていられるのには、数知れない人たちのつながりがあるわけで。
話す、それが人と人とを繋ぐことだから。
どこにも届かない言葉を打ち続ける寂しさは、知っているから。
こうして文章を綴っているのも、どこかで誰かが、一瞬でも見てくれている、そう思っているから。


と、話は変わって、とある先輩との会話。
「(言人)ってさ、休みの日とか何してんの?」
「友達のライブ行ったりとか、ベース弾いたりとかしてますよ」
「え、ベースなんてやるの? もしかしたら、バンドとかもやったりしてた?」
「ええ、まぁ……」
「へぇ、俺、(言人)って、何となくアキバ行ったりとかコミケ行ったりとかしてそうとか思ってたよ」
「は、はぁ……」
……ええと、それ、あってます。曖昧にそこら辺は誤魔化しておきましたけど、あってます。
休みの日は、秋葉原通ってます。コミケじゃないですけど、この前イベントデビューしました。
しかし、その先輩も、まさか私がメイド喫茶に常駐したりサイト持ちで小説書いたりSS書いてるとは思っているまい。
……あははー。


つーか、各設計書がわからなさすぎ。情報が分散してます。
もっと、うまくまとめた資料とかないのかなぁ。
きゅう。

[Today's tune]自殺志願者が線路に飛び込むスピードで/野狐禅