ネコソギラジカルと「世界の終わり」と「オルタナティブ」について

足りない時間の中で何とか「ネコソギラジカル」の感想を書きましたが、もう少し駄文にお付き合いください。
さて、ネコソギラジカル、そして戯言シリーズのテーマは、なんだかんだ言ってもやはり「個人と世界の関わり方」と言うような気がします。自分は、世界の中でどのような役割にいるのか? 自分は、本当にここにいて良いのだろうか? そんな問いの末にたどり着いたのが、あのどうしようもなく平凡なエンディングだったとしたら、結局のところ世の中なんてそんなもんだよ、よいう作者のメッセージなのかもしれない。
で、この「世界の終わり」なんですけど、実は以前にこのことについて考えたことあります。
大学のときにサークルで書いた、リレー小説で「さあ、世界の終わりについて語ろうじゃないか?」という書き出しからはじまるもののラストが回ってきたからなんですけど。
そのときには、まともな回答なんて考えられずに、曖昧に終わらせてしまいましたが。
とりあえず、こちらで読めます。
そして最後は幸せな記憶を
ちなみに、女の子の一人称で書いた初めての小説だったりします。
最近に限って言えばどちらかというとそちらの方が多かったりするわけですが、これを書いたときには、いったいどうしよう? と途方に暮れたものです。だって、リレー小説だから、最後でいきなり三人称にしたりするわけにはいかないですし。それが今や、こんなていたらく。
びっくりです。


それでは、ネコソギラジカルもうひとつのテーマ「オルタナティブ」について。
オルタナティブ
代替品。
世の中の流れはナンバーワンよりオンリーワンらしいですけど、それに逆らうようなオルタナティブの連続。
そんなオルタナティブであっても、オンリーワンじゃなくたって君が生きていく上ではなんの問題だってないんだよ、というラストこそ、本当なんじゃないだろうかなぁ。
そして、同じくオルタナティブというのがテーマだったのが、この間DVDボックスの後半がでたフタコイ オルタナティブ
「双子」という究極のオルタナティブをヒロインにしたフタコイですが、皆様もご存じのとおり、もとは電撃G'zマガジンの企画からはじまったものです。あの雑誌の企画は、フタコイだけでなく、セラフィムコールだとかハッピーレッスンだとか、そして何よりシスプリというものまで、とにかく話題作というか問題作が産まれる傾向にあるんですが、なぜでしょうか? あ、個人的にはセラフィムコールのアニメは必見だと思われます。見たことない方、ぜひ見ましょう。うん。村雨姉妹(お、これも双子)の話が面白いです。あと個人的には柊彩乃の話が好みですが。いやぁ、未だあれだけ数学をうまく扱ったアニメを見たことないですよ。
と、話が脇にそれましたが、オルタナティブフタコイですね。
元々雑誌の企画からはじまった「双恋」はアニメ「双恋」になり、そして「フタコイ オルタナティブ」がアニメになりました。
その周辺の流れのようなものは、ネットを探せば、きっと偉い人が教えてくれると思います。なので割愛。
頭でも書きましたが、双子というのは究極の代替品だと思います。(実際には違うとは思いますが、アニメ、ゲーム、小説などの文脈では、という限定で)
そんなどちらとも選べないものからどちらかを選ばなければ行けない、という選択を迫ったのが「双恋」であり、選択しないことを選択したのが「フタコイ」です。
つまり、代替品を代替品としなかったのが「フタコイ」のラストでした。
なんとなく、ネコソギのラストでのいーちゃんと彼女が、幸せそうにニコタマを歩く沙羅双樹と恋太郎に見えました。
ネコソギラジカル──戯言シリーズが、「世界の終わり」なんてものがほんとに重大なものであるかのように振る舞っていたのに対して、フタコイはまるでそういったそれぞれに対して、君たちが考える世界の終わりってなにさ? と疑問を投げかけていたんじゃないでしょうか。それが、イカファイヤーだったりして。
まぁ、結局のところは好きなら突っ走れ、というのが答えなんじゃないだろうかと意味もなく思ったり。
そこに、世界がどうだとか自分の存在がどうだとか、そんなことは意味がないし。
とりあえず、代替品だらけの僕は、明日も意味もなく仕事に行こうと思います。

[Today's tune]Confusion/New Order