小説とエロゲについて(追記)

ちょっとあとから見てみたら、昨日の日記ひどいなぁ、とか。
まとまってないにもほどがある!
もう、もの書いてるってレベルじゃねぇぞ
書き出したあたりでは何が言いたかったかというと、「文学」もエロゲも関係ない、結局「それ」が「良い」かどうかというのは、受け取る人しだいなわけで、いくら「高尚」という「文学」だって、読む人によっては新聞の3行広告にも劣るだろうし、受け取れる人であれば、文学でもエロゲでもなんでも関係なく、それ相応のものを読み取るだろう、ということが言いたかったわけですよ。
個人的に、作品に触れる、という行為は、作品を作るのと同じくらい、いや、場合によってはそれ以上に困難なことじゃないかと考えています。
今、平野啓一郎の短編集を読んでいるんですが、その中の一編に、鳥肌が立ちました。
たった一文しかない小説です。
ああ、どうしてこの人はこんな「怖い」小説が書けるのだろうか、と思いました。
ただ、この一文にしても、通り過ぎるだけなら、ほんの10秒もかかりません。
その10秒から、いかに深い場所に潜っていくのか? というのが、小説を「読む」ことなんじゃないかと思うのです。
エロゲだって同じ。
行間に、CGの間に挟まれたメッセージを、「制作者が意図していない」ものまで引きずり出して、それを味わうんじゃないのか?


そんなわけで、訳知り顔で小説の評論をするのと、アイマスの「とかちつくちて」に萌えるのとは大差ないんじゃないか、と思うのです。
……あー、そうさっ! そりゃ、頭の中でぐるぐる「とかちつくちて」だよっ!

[Today's tune]Lunchbox/Marilyn Manson