ライトノベルの文体について

気が付いた頃には、もう話題が収束しているという、いつもの展開です。

と、めぼしいところをリンクしてみるテスト。
ええと、並み居る論客を向こうに回して、ボクが今更何か言うことなんてないんですが、それでもこういう話題には触れずにはいられないという性。


上でリンクさせて頂いた方たちには及びませんが、ボクもいくらかは「ライトノベル」というものを読んでいるので、それなりに何か書いてみようと思います。
ええと、「ライトノベルで特徴的な文体は?」というのが、議論の中心だと思いますが、個人的には、「ライトノベルで共通する、特徴的な文体」というのはないんじゃないかと思います。
ある程度の方向性というものはあるかもしれないけれど、それは、「ライトノベルに共通」というよりも、「現代小説全体に共通」と言ったほうが良いんじゃないだろうか? と思うのですが。
例えば、「ライトノベルに共通する文体」としてあげられている、「過剰とも思える読みやすさ」ですが、ライトノベルというよりも、エンタテインメント系全体にある方向性だと思います。
あまりイメージできない人は、とりあえず石田衣良IWGPでも読んでみると良いと思う。
はっきり言って、そこら辺のラノベよりもわかりやすいよ!
キャラクターだって、めがっさわかりやすい。
──まぁ、石田衣良ラノベだと言われればそれまでですが。
あとアレですね、いわゆる「携帯小説」なんかは、行き過ぎて逆にわかりにくくなってるような気がします。
こういうあたり、秋山さんと同じような結論になるのかなぁ、と思います。


ただ、一連の議論の中で気になるのが、「文体」についての議論がいつの間にか「ライトノベルに求めるもの」についての議論になっていること。
ええと、「文体」という「技術的」なものと、「求めるもの」という「意味的」なものを、同一に語るというのは、間違っているんじゃないかと。


「文体」に限って話を進めると、結局は「文体」というのはそれぞれ作者個人に特有のものになるのではないか? と思います。
って、こういう結論になるんなら、今更何も語る必要はないね。
うん。
Wikipedia 文体
Wikipedia 文体論


ちなみに、いわゆる「一般文芸」と呼ばれるものよりも、ライトノベルの方が文体の自由度は高いと思います。
一般文芸では忌避される、擬音の多用や特殊な記号の乱用、繰り返し表現なども、比較的すんなり受け入れられているんじゃないかと。
(冲方丁とか顕著かと)
あと、「文体」について考えるんなら、平野啓一郎の短編集がお薦め。
「あなたが、いなかった、あなた」とか「滴り落ちる時計たちの波紋」は、非常に刺激的な試みに満ちています。
そして、「文体」──「表現技法」について突き詰めていくのならば、できあがった小説の「発表形式」にまで考えが及ぶのは必至。
「文庫」からはじまったライトノベルもハードカバーなどにその「発表形式」を広げていますが、まだ紙媒体、もしくはWebのテキストという形式に収まっていますが、これから先、どうなるのか? は興味深いところではあります。
って、そう言う方向性としての「ノベルゲーム」というのはあるんだろうなぁ。


というわけで、「文体」について考えるのなら、「発表形式」についても考える必要があり、それであるなら、「ラノベの拡大としてのノベルゲーム」というのを、誰か考えて下さい。
──ボクは、ノベルゲームと言えばTo Heartと鍵と型月くらいしかやったことないんで、考えられないんで。

[Today's tune]Drive/Funeral For A Friend