秒速5センチメートル

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

映画館でも見たけれど、なんとなくDVDも買ったので、観てみた。
映画館で観たときの感想はこちら
http://d.hatena.ne.jp/kazutokotohito/20070310#p5


どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。

という言葉通り、「速度」が非常に重要なファクターとなっている。

僕たちは加速してゆく

おねてぃなので、間違えないように注意。


劇場公開とかDVD発売からもうだいぶ経っているので、今更ネタばれなんて気にしないで書いていこうと思います。
第一話「桜花抄」のラスト、明里の「大丈夫」という言葉が、非常にきつい。
多分、今の自分の精神状態というものが大きく作用しているから、きつく響くと思うんだけど。
ただ、第三話「秒速5センチメートル」での貴樹の状況を考えてみると、二人の距離感というか、それぞれ別々に過ごしてきた時間のようなものの大きさを感じずにはいられない。
というより、今の自分には、「秒速5センチメートル」は、涙なくしては観られないですよ。
小学校の頃に、これほど大きな思い出を残した幼なじみもいなければ、3年つきあった彼女もいないわけで、状況はまったく違うんですが、自分の現状というものがまったくやるせなさに満ちあふれているというのは変わらないわけで、つまりは、システムエンジニアなんてのは、一部の精神的体力的に強靱なものを持った人じゃなきゃできない職業だというわけで、結局は「普通」の人だった「貴樹」は辞めてしまったし、ボクは病んでしまったしということで。


と、こういうことを書きたいんじゃないんだよ。
もっとさ、違うことを考えてたんだよ。
そうそう、「雲のむこう、約束の場所」を観たときにも思ったんだけど、新海さんの映像の特徴として、綺麗な背景が挙げられることが多いと思うんだけど、その「背景」つまる「風景」というのは、ある種の「象徴」として機能しているんじゃないだろうか?
例えば、映画館で観たときにも書いた、第一話と第三話での駅の描写の違いだけれど、あの時は単純に視点の違いかなぁくらいに思っていたんですが、実はそう言うわけではなくて、「中学生の時に見る駅」と「大人になってから見る駅」の印象──つまりは「共通認識」の違いだったんじゃないかと。
そういう、「共通認識」によって映像を創り出すことで、物語にどんどん没頭していけるような、そんな気がしています。

[Today's tune]ばらの花/くるり