インシテミルと女王国の城に見る、ミステリ読者層の変遷

というわけで、インシテミル米澤穂信)と女王国の城(有栖川有栖)について、考えてみようと思う。
女王国の城ではもちろんのこと、インシテミルでも、過去のミステリを「踏まえた」内容というのがあるわけだけど、その扱いは大きく異なっている。
そして、どちらも登場人物にミステリ好きが出てくるが、それも大きく異なっている。
どういうことかというと、単純に言って、インシテミルの方が、ライトだ。
EMCの面々が、神と考えるようなクイーンにしても、インシテミルのある登場人物にとっては、「大昔の作家」くらいにしか考えていないだろう。
つまりは、ここしばらく言われている、「オタクの世代交代」というものが、この二つの小説でよくわかるんじゃないかと思う。
もしかすると、今は、EMCタイプのマニアというのは、受け入れられないんじゃないかと思ったり。
だって、「虚無への供物を毎年読み返している」とか、そういうの聞いても「え? おかしいんじゃない?」って思うでしょ?
昔は、そう言うのが普通だったといっても、信じてもらえないかもしれないけど。
ちなみに、ボクもそんな江神さんをまねして、毎年読み返したりしてみました。
──虚無への供物じゃなくて、黒死館殺人事件ですけど。
そんな感じで、昔はそれぞれが持っていた「ミステリへのこだわり」──「自分が愛するものへのこだわり」というものが、全体的に薄れてきているんじゃないだろうか? と感じたり。
それはつまり、「毎年」──「継続的」に繰り返し、鑑賞される作品が減ったのでは? ということに通じないだろうか?
例えば、昨年は「涼宮ハルヒの憂鬱」がめがっさすごい人気だったけど、「涼宮ハルヒ以後」と呼ばれる現象が起こったか? といわれれば、否。
十二年前、エヴァは、確かに「エヴァ以降」と呼ばれるものを創り出した。
新作映画でエヴァにはじめて触れる人には、それだけは、覚えておいて欲しい。
スタンダードは、毎年生まれている。
けれど、マスターピースは、果たしてそうか?
ひとつの文章が、心の奥に突き刺さるような、そんな小説が、ミステリが、アニメが生まれているのか?
──まぁ、ボクが知らないだけなのかもしれないけど。