ボクなりにミステリというジャンルを考えてみる

推理小説というジャンル名がもたらす誤解/雲上回廊
http://d.hatena.ne.jp/sinden/20071031/1193792797
というわけで、秋山さんのところで、今回の騒動に関して、ちょっとした雑感が書かれていたので、それに反応してみようかと。

推理小説という名称ゆえでしょうか、多くのひとが推理小説は「推理する小説」でなくてはならないと考えているような気がしました。

と述べられているけど、実は、この段階というのは、ある程度ミステリというものに触れ始めた段階の人が考えることなんじゃないかなーと。
ほとんど意識してミステリを読まない人にとっては、「推理小説」と言えば、いわゆる2時間ドラマの小説版でしょ? くらいの認識だろうし、はじめの段階を越えてしまった人なら、推理小説とは言ってもそんな簡単じゃないよね、というのは自然に気が付くところだろうし。
で、このミステリの入り口あたりでうろうろしている人というのが、一番多いカテゴリになるんじゃないかなぁ、と思っています。
金田一少年の事件簿をはじめとした推理コミック、また、「ひぐらしのなく頃に」に代表される、ミステリと銘打って発表される作品の増加により、その入り口に入り込む人の数は増加していることは確かです。
そして、その入り口の人にとって一番楽しいのは、推理小説に「参加」することではないでしょうか?
自分でもやってみるのです。
もちろん、自分でも小説を書いてみる、というのは推理小説に「参加」する上で、もっとも強いコミットの仕方ではありますが、全員がそう簡単に小説を書けるのか? というとそうでもない。
※ボク個人的には、書けない、というのは意識だけの問題だとは思っていますが、今回の本質ではないので、割愛します。
最も簡単で、かつ、充足感が得られる参加の仕方と言えば、推理小説の中で描かれる「なぞ」を解き明かす、つまり、推理するというものではないでしょうか?
それゆえ、推理小説=ミステリ=推理する小説、という図式が成り立ってしまいます。
もちろん、それを否定する気はあまりないです。
ボクも、そういうふうに考えていた時期がありました。
あの頃は、幸せでした。
ミステリの、さらに奥なんて見なければ良かった、と思うことさえあります。


今、ボクにとっての「ミステリ」は、純粋に「推理する小説」ではありません。
では、どうなっているかというと、
「なぞ」に対する「推理」という思考を通して、人間、社会、思想などの根源的な問題を解決しようとする小説
とでも言えばいいのかなぁ、と。
そんな読み方をしているせいか、最近はトリックだとかそういうものよりも、推理に至る過程、また、推理のロジックの流れ、そのようなものの方を重視して読んでいるような気がします。
重要なのは、「推理する」という行為なのではなく、作中で描かれる「推理」そのものなのです。
つまり、「推理小説」というのは、「推理する小説」なのではなく、「推理を描く小説」だと考えます。
──「推理」という言葉が紛らわしければ、「思考」と言い換えても良いかもしれない。
秋山さんは

そもそも推理小説幻想文学から派生したことを考えると、重視されるべくは推理や解決ではなく謎であるように思います。

と書かれていますが、幻想文学においても、謎というものはあったでしょう。
不可思議な現象。「近代科学」では説明できないような現象。
それは、すなわち謎。
それが、そのまま本当に説明できませんでした。不思議ですねーではミステリにはなりません。
ミステリの祖と呼ばれるポーが行ったのは、あくまで「論理」により、その謎を解き明かすと言うこと。
そこで──モルグ街の、あの密室起こった惨劇を、「論理」で解き明かしたときに、やっとミステリは生まれたのです。
というわけで、重要なのは、謎を解き明かす、論理の細い剣なのではないでしょうか?


……でも、このあたり、異論が出るのは確実だろうなぁ。
というより、そもそも、ミステリ──推理小説において、謎と推理(論理)っていうのは表裏一体で別々に扱うことができないようなものだろうしなぁ。
まぁ、ここは、敢えて投げてみるか。

[Tpday's tune]Sick Of It!/Cage9