ドラマチック・ドラマー遊月(四辻たかお)

ドラマチック・ドラマー遊月 (一迅社文庫)

ドラマチック・ドラマー遊月 (一迅社文庫)

主人公の女の子がドラマーというので、ちょっと珍しいなぁ、と思ったので読んでみた。


むー。これは……
ちょっとあれかなー。
と言うより、ものすごく大事なところで大きなミスがある上に、それがラストの重要なところに絡んでくるんで、ものすごく残念な感じ。
ええとですね、作中で、「ベースとギターを同時に弾く男」というのが出てくるんですよ。
ダブルネックのギターを縦にしたような感じで持って弾く、という描写はされてるんですが、
あのですね、えとですね、ギターもベースも、片手じゃ弾けないんですが……
まぁ、そりゃ、ものすごい指の力が強くてハンマリングだけで音が完全に出せます! というのならアレかもしれないですけど、そんなんじゃ良い演奏はできないはず。というより、普通に弾くのとハンマリングじゃ音が違うからねー。
SFだから、押さえなくても弾けるんです! と言われればそれまでだけど、そこは越えちゃ行けない一線。


あと気になったのが、音楽の描写。
下手に擬音を使って楽器の音を表現しているから、雰囲気も何もあったもんじゃないです。
もちろん、小説で音楽を表現する、というのが難しいのはわかってるんですが、そこをなんとか表現するところに醍醐味があるんじゃないかと。
むしろ、そこに小説の面白さがあるんじゃないかと。
例えば、

シュイーン・シュンシュシュ・シュイーン

……これが、ギターの音です……。
と、これに比べて、

 そのどろどろに灼けた混沌を切り裂いて、稲光のようにライブハウスの闇に突き刺さる甲高いリードギターの旋律──ジュリアンだ。その小さな手が弦の上を目まぐるしく滑り、神経を直接掻きむしるような鮮烈なサウンドを弾き出す。ぼくはもう、立っていられなかった。膝が震えている。

こちらは、同じくギターの音。from さよならピアノソナタ杉井光)のユーリくん。
シュイーンと言われても、ギターの音なんて聞こえて来ないけど、ユーリくんの弾くギターは、まるですぐそこでなっているかのように感じられる。
下手に擬音に頼ることで、逆に音が聞こえなくなってるわけです。
マンガでも、同じようなことがあって、例えばTO-Y上條淳士)なんかは、音楽シーンには歌詞も効果音も入れず、弾いてる絵だけで表現してました。
逆に何も音を入れないことで、トーイ達がどういう音を出しているのか? が鮮明に聞こえるようになります。
#そもそも、上條淳士が「間」をうまく使う作家だというのはあると思うけど。


つまりはどういうことかと言うと、
「音楽がテーマなのに、音楽シーンが残念なことになってるので、全体としても残念なことになってる」
ということで。

[Today's tune]The Turning/Oasis