ライトノベルの限界についての追記

ええと、この前書いたエントリがなんだかいろんな人に読まれたようで、
なんというか、すいません、という感じ? なんですが、
ちょっとくらいは追記しておいた方が良いかなぁ、とか。


読書会のときも話題になり、ブックマークなどでもコメントが多かった
ライトノベルの限界」というところについては、
この「限界」というのが何を指しているのか? というところで、
認識の齟齬があったのかなぁ、と考えています。

  • 「小説作品」としての限界
  • 「商品」としての限界

と、ライトノベルの小説作品としての側面と商品としての側面、
その両方の意味でとらえられるからです。
「小説作品」としてのライトノベルに限界はないけれど、
「商品」としてのライトノベルには限界があるんじゃないか? というのが、
読書会に参加していたメンバの意見だったようです。
(後からTwitterで確認しました)


ただ、「ライトノベル」という言葉の意味も曖昧なので、
「いわゆる"ライトノベル"と呼ばれる小説を出版しているレーベルの限界」
と言い換えた方が良いかもしれないです。


けれど、個人的には、そういう意味で「ライトノベルの限界」という言葉は使いたくはない。
一読者としては、もっと面白いもの、
ドキドキして、わくわくして、
ページをめくる手が止まらないような、
少し切ない恋だとか、胸躍る冒険だとか、
そういった小説を、純粋に求めて行きたいと思うんです。
売れるとか売れないというのももちろん大切だし、
それを一生懸命考えている人も、作者だけじゃなくて編集、営業さん、書店員だとか、
たくさんいるのもわかってる。
でも、そんな彼ら/彼女たちに「ありがとう」って言うためにも、
僕たちがこんなに好きな小説には、「限界」なんてないと思いたい。

Can you feel?
Can you feel that hybrid rainbow?
きっとまだ
限界なんてこんなもんじゃない
こんなんじゃない


ハイブリッドレインボウ/the pillows