思考を形に落とすためのデバイス

神奈川近代文学館で開催されている、「作家と万年筆展」に行ってきました。
http://www.kanabun.or.jp/te0529.html


今は、パソコンを使って書かれることが多い小説などの文章ですが、パソコンやワープロがない頃は、当然手書きで書かれていました。数々の小説家が、数多くの傑作を、まさにその手で生み出してきた歴史が、文学の歴史です。
小説家が作品を生み出すときに手にしてきたのが、万年筆です。
夏目漱石の昔から、現代に至るまで、数多くの作家が万年筆を手にしてきました。
今回の展示は、その夏目漱石から現代の浅田次郎角田光代までが愛用していた万年筆が、実際の手書き原稿とともに展示されています。
いろいろな文学館でも、自筆原稿が展示されることは多いけれど、こうしてその文字を生み出した万年筆まで展示されることは珍しいと思います。
自筆原稿の文字、使い方でも、それぞれの作家の性格とかがよくわかるんですが、さらに万年筆まで展示されると、さらに作家の性格が見えてすごく面白いです。
例えば、吉屋信子の万年筆は、花模様がエッチングされていてとてもかわいらしかったり、澁澤龍彦はニブの先端しか見えないのが特徴的なパーカー21だったりとか、伊集院静のものすごいイケメンな文字の秘密が、実は愛用のモンブランマイスターシュテックの先端にあったりだとか。
北方謙三愛用のモンブランスターピース149が、実は柴田錬三郎から譲り受けたもので「狂四郎」と名付けていたとかいうのを喜んでみてたりしたら、
「背中のチャックが開いてる……」
とか同行者に言われたけど、そうやって人から人へと繋がっていくのも、パソコンと違う万年筆のいいところだと思います。


先ほどから何回も書いてますが、最近は自分の手で何かを書く、ということは少なくなっている上に、その時に使う道具も、1本100円のボールペンだったりと、意識して何か字を書く、文章を書く、ということは少なくなっているかもしれませんが、だからこそ、何かを書くときは、自分がこれだ! と思える道具を使って、自分を表現するというのも、良いんじゃないでしょうか。