諸星きらりというアイドルについて

 一九八〇年代後半から九〇年代前半にかけて、自らを「生贄」と称したバンドがあった。ボーカルは、フェンダージャガーを手に自らのありのままを表現し続け、錆つくより今燃え尽きる方が良いと、二七歳のときにショットガンで愚か者のクラブに仲間入りした。
 彼の名は、カート・コバーン
 クソみたいな泥溜めの世界の中で、全力で生き抜いたヒーローだった。そんな彼でも、この世界の闇には勝てなかった。
 光があれば、影がある。そんな単純なことも、人はすぐに忘れてしまう。
 ──諸星きらりは、光の象徴のようなアイドルだ。いつも元気で笑顔を絶やさず、真夏の太陽もかすむほどに光り輝いている。その光は、ニートアイドルすらも逝かせるほどに、眩しい。
 だから、ぼくらは忘れてしまう。
 光があれば、影があることを。
 光が強ければ強いほど、できる影は濃く、深く刻まれる。深く、苦しい、這い出すことができないほどの、本物の深淵をきらりが持っていることは、想像に難くない。
「みんなを元気にしたい」
「聴いてくれる人を勇気づけたい」
 闇を知らない言葉は、発光ダイオードのような、偽物の光でしかない。確かに、見た目には明るいが、闇を斬り裂くにはあまりにも弱い。弱々しい光が、どれだけ先まで届くって言うんだい? そんなクズみたいな主張は、決して誰の心にも届かないさ。
 闇を知る言葉は、強い。
 闇を知る笑顔は、強い。
 きっときらりは、今日も部屋の隅でその大きな身体を縮こまらせ、膝を抱えながら「お前は間違っていない」というカートの言葉を聞いているだろう。
「なぁ、どれくらい悪い?」
「最高に悪いにぃ……」
「じゃあ、クソみたいに最高じゃねぇか」
「うん! みんな、ハピハピすぅ!」
 きっときらりは、自らの身体を焼くようにして、今日もみんなに笑顔を魅せてくれる。それが彼女が信じる『アイドル』の姿なのだから。