殺人と自殺

人を殺すくらいなら、自分を殺せばいいのに。そう思います。
自殺という行為は、自分を殺しているんだということを、きちんと自覚しなければいけない。最期の殺人、それが自殺だ。
大量虐殺したいという17歳がいるかと思えば、笑いで人を癒すといった自殺者もいる。
虐殺志願者は生きて、一時代を築いた芸人は、死んだ。
ここから先は想像でしかないことを、あらかじめ断っておく。
−−二人に共通するのは、停滞感だ。
芸人は、一時よりも表に出ることは少なく、「ひっそりと」生きていた。それを停滞と言わず、何と言おうか。しかし、彼の場合は、悲惨ではない。華やかに生きた時期があり、ほんの刹那でも、仏を信じることで、救われた時期があったのだから。
しかし、少年の場合は、悲惨だ。
ーー考えてみるが良い。自分が育った時代が、冬の時代だと言われたら。
先の見えない、毎日。
限りのない停滞。そして、絶望することも、希望することも許さない周囲。
絶望することは罪とされ、希望することは不可能だと教え込まれる。
ならば、いったいどうすればいいのか?
停滞する毎日を打破するには、何をすれば良いのか?
彼は、人を殺そうとすることで、その答えを見つけようとした。
その思考過程が間違っているとは、思わない。
間違っているのは、子供を殺そうとしたこと。殺すのなら、自分を殺せばいい。
停滞しているのは、自分であるなら、そこから抜け出すには、自分を変化させるしかない。
他人を殺しても、自分は変わらない。
停滞している人間は、あいも変わらず停滞し続けるだろう。
……自分を殺せば、少なくともその停滞からは抜け出すことができる。


…………ああ、この澱み中から抜け出すには、いったいどうすればよいのだろう?
おぼれる……

[Today's tune]My World Down/meister