ライトノベルとセカイ系とリアル・フィクションとヴァンパイア騎士

ライトノベルでよくあるパターンに、学園ものというのがある。
舞台は現実とは少し違うところがあるかもしれないけれど、なぜか大体が普通にあるのと変わらない学校。主人公はそこにいる「普通の」としか形容できないような男子生徒。ただ、ほんの少しだけ何か違うことができたり、その境遇に特別なところがあったりで、それが原因となって、何らかの事件に巻き込まれる。
ライトノベルの半分はそういう学園ものでできていると言っても過言じゃないと思う。
特に、生粋のライトノベル作家にそういう傾向があると思います。
ライトノベルを書いていても、元々違う傾向がある人は学園ものを書かない傾向にあるのかなぁ、とか。桜坂洋も、よくわかる現代魔法は主人公的には魔法が使える女子高生でも、学校が舞台になることはほとんどないし。
ここで考えなければいけないのは、なぜライトノベルの舞台に学校が選ばれることが多いのか? ということではないかと。特に、セカイ系と呼ばれる作品群については、個人と世界を直結させなければいけないのに、なぜ学校なのか?
書き手の側とすれば、学校というのが閉じた世界で、個人が感じる「セカイ」というのが狭く、個人と関わり合わせるのに無理がないから、というのが、もしかしたら一番大きいのかもしれない。
それでは、読み手側は?
読み手としても、学園ものにメリットはあって、自分たちが現実に置かれている環境、もしくは過去に置かれていた環境に近いと言うことで、難しくなく作品世界に入り込むことができる。セカイ系なんていうおおよそ現実的ではないストーリーを受け入れられるんじゃないかと。
だから、リアル・フィクションという言葉は、ある意味そんな現状を言い表した良い言葉なんじゃないかと思うんですが、いかがなのでしょうか?


と、そんなことをマンガ喫茶でヴァンパイヤ騎士を読みながら考えた冬の日。
いや、とあるレイヤーのメイドさんがコスしてたのと、某氏のmixiの日記にちらっと出ていたので。……あれですよね、少女マンガってたまに読むと面白いなぁって思うんですけどね。ヴァンパイヤ騎士は女の子の制服がかわいいと思いました。
それにしても、やっぱりヴァンパイアものって書きにくいですよね。
今小説で書くと、ほぼ間違いなく月厨だと思われるし。実際そこそこにヴァンパイアネタはあるんですがね。

[Today's tune]Save A Prayer/Bon Jovi