GOSICKs春来たる死神(桜庭一樹)

あ、実は長編5巻よりもこっちの方が刊行順は先だったんですね、という短編集の1巻目です。
まぁ、短編集とはいっても、富士見っぽく連作短編と書き下ろしで過去の話という感じ。
一弥とヴィクトリカの出会いにも、やっぱり不思議な事件があって、二人が仲よくなるのにも、やっぱり事件があって。でも、一番の謎は、「知恵の泉」ヴィクトリカそのものだったりして。
まずはアレですね。章タイトルがどれも非常に良いです。
「廃倉庫にはミリィ・マールの幽霊がいる」とか
「午前三時に首なし貴婦人がやってくる」とか、もうカーにあってもおかしくないようなっ。
素敵ですっ。


というわけで、ちょっとまじめに書いてみようと思う。
ゴシックシリーズにみる、ライトノベルとミステリについて。
最近ずっと書いてるテーマですが、この短編集ですっきりとまでは行かないまでも、結構良く説明できるんじゃないか、と思ったので。
では、第1章の内容を元に、説明しようと思います。
まず、ストーリーの大まかな流れとしては、

  • 一弥の目の前で殺人事件発生
  • 一弥が容疑者にされる
  • セシルの機転で、一弥がヴィクトリカに助けを求める
  • ヴィクトリカが事件を解決する

といったところでしょうか。
ミステリの基本的な流れとして、
謎の提示→推理→解決
というのがあります。
それに当てはめてみると、一弥の目の前に現れた首なし死体が謎の提示、ヴィクトリカとの会話が推理、そして最後に解決となると思います。
さて、百人いれば百通りの定義があるという「本格ミステリ」ですが、私の個人的なことを言わせてもらえれば、この第1章は本格ミステリではありません。
なぜなら、提示された謎を解くのに必要な情報がすべて与えられていないからです。
「金髪の少女」をほのめかすような記述はありますが、「手に怪我をしている」の方についての情報が提示されたのは、ヴィクトリカが指摘したあとのことです。
これでは、読者は謎を解くことができません。
例として第1章を挙げましたが、他の章でもそれほど変わらないのでは、と思われます。
というわけで、構造的には「本格」ミステリではない本作における殺人事件などの謎はいったいどういう位置づけにあるのか? というのが話題になるとは思いますが、その答えというのが、ライトノベルとしての構造にあると思います。
以前に書いたように、ライトノベルの基本構造はボーイミーツガールです。
……こうやって毎回毎回ボーイミーツガールって書くの、若干恥ずかしいんですが、他に良い言い方知りません?
というのはおいといて、そういう構造で考えると非常にすっきりいきます。
「事件による、主人公の少年と運命の少女の出会い」
というハリウッド映画の9割も一言で言っちゃうとこんなんじゃないか? というストーリーに落ち着きます。
つまり、短編は長編よりも本格推理的な要素が少ない、というよりもほとんど無いということ。
では、どうしてそういうことになっているのか?
それは、長編と短編のあいだの、主人公──読者が得られる情報量の違い、というのが原因としてあるんじゃないかと。
長編であれば、一弥が見たり聞いたりしたことを多く書けるおかげで、謎を解くのに必要な情報をすべて提示することができます。
作中の言葉を借りるなら、「混沌の欠片」を解決編の前にすべて提示することが可能となるわけです。
それにより、擬似的に読者が探偵のように推理をすることで、本格ミステリ的な体裁をとることができます。
短編では、その情報が少ないがために、疑似本格ミステリ形式がとれないわけです。
それ故、本格ミステリではなく、ミステリ的な道具立てを使ったライトノベルとなるわけです。


と、どうにも微妙な展開になってきたので、ここら辺で終了。
で、あのですね、そのですね。
まだもうちょっとだけ書かなきゃいけないことがあるんですけど、良いですか?
ええと、あの、ヴィクトリカ、めんこい。
知らない人が来たらチェストに隠れるって、あの、そのチェストごとお持ち帰り?
あー、もう、とりあえず、いくらでもお菓子食べさせるー。
もぐもぐするのみてるー。
と、そっちの趣味があるわけじゃないんですが、ヴィクトリカだけは別ということでっ。

[Today's tune]Thanks To The Girl/The Ordinary Boys