赤い指(東野圭吾)

赤い指

赤い指

加賀刑事の、父親との絆が描かれます。
放課後から、ずっと続いてきた二人の関係を思うと、非常に感慨深いものが。
ある意味、法月家のように仲よし、というわけじゃないですけど、微妙な、何とも言えない絆がそこにはあったわけで。
彼らに対するようにして描かれる、犯人家族の姿。
読む側は、彼らの姿にいらだちをつのらせると思う。
いや、むしろそうであってほしいと思う。
しかし、その緊張感に目を離すことはできない。
ただ、ここでミステリマニアの認識としては、「あの」名探偵の加賀が出てくるんだから、このたくらみは絶対に成功することはない。必ず見破られる。ということがあるわけです。
ならば、どう見破られるのか?
それも、犯人側がこんなにずさんでは、彼のような名探偵がいなくたって、普通の警察の捜査で分かるでしょう。ならば、ミステリとしての興味はどこにいくのか?
それが、

この家には、隠されている真実がある。
それはこの家の中で、彼等自身によって明かされなければならない

という加賀の言葉なんだろうと。
つまりは、どうやって謎を明かすのか、というのではなく、どうやって謎を認めさせるか? という点なのかな、と。
名探偵/皆を集めて/さぁと言い、という展開では、もう読者は納得できないだろうし、作者自身だってそればかり続けていて良いはずがない、と思うのです。
もちろん、本格ミステリの形式的なものとして、解決シーンというのは重要だし、皆を集めて、というのもそれなりに理にかなっているとは思います。けれど、そこに安住してしまって良いのか? と。
もちろん、すでにいろいろな試みはされています。
けれど、世の中、どうしても「本格」という言葉だけに気をとられている人が多いんじゃないか、と、昨年来続く東野圭吾の「容疑者Xの献身」に関する議論というか一方的な言いがかり? を見ていて思ったもので、ついいらぬことを書いてみました。
……今まで沈黙を守ってきた島荘のコメントも出たし、もうそろそろいいんじゃないでしょうか?
ほら、あんまり頭に血が上ると、ただでさえ少ない髪の毛がなくなっちゃうんじゃないかと。

[Today's tune]Gone/Kink's