探偵小説の論理学(小森健太朗)

探偵小説の論理学

探偵小説の論理学

論理学の観点から、ミステリ──特に、本格ミステリと呼ばれる分野について、論を展開しています。
中心に語られるのは、副題にもある通り、クイーンと西尾維新
特に、クイーンついて展開されている部分は、非常に面白かったと思います。


このような評論を読んで思うのが、果たして、書いてる作家本人は、ここまで考えて書いているのか? というところ。
西尾維新はともかく、竜騎士07はここまで考えていないと思うぞ。
いや、作家の自覚的ではない思想を汲み取るのが、評論の役割というのなら、ありだと思うけど。


ちょっと気になったのは、この本とか、笠井潔が使う「探偵小説」って、どういう意味なのかなぁ、と。
いわゆる、「ミステリ」とか「本格ミステリ」とかと、一体どういう風に違うのか?
その違いに意味はあるのか? とかいうところ。
……アレですか、探偵小説論序説とか読み直せば載ってます?
もしくは、誰か優しい人教えてplz。


個人的には、もう少しはっきりと「本格ミステリ(もしくは探偵小説)」というものがどういうものか? という定義付けがされるものだと期待していただけに、ちょっと残念。
いや、「探偵小説の」とわざわざタイトルにつけていて、その上で「論理学」とまで言っているんだから、そもそも「探偵小説」って何? というところの定義が重要なんじゃないかと。
もしかしたら、それくらい周知の事実なのかもしれないけど、ボクのような初心者には、ちょっと厳しい感があった。
というより、アレですか。
ボクのような素人はお断りというやつですか?


あと、包括的なミステリ定義と、個々の作品に対する評価が混ざっている漢字もあった。
たぶん、まず定義があって、そこから導きだされる定理、使用例などという流れになっていない、というのが原因だと思うけど。
そこの流れがあまりないから、なぜ「クビシメロマンチスト」はミステリで、「ひぐらしのなく頃に」は疑似ミステリなのか? というのが強引に感じられる。
個人的にも、ひぐらしはミステリではない、と考えているので、結果には同意なんだけど、過程が同意できない。
いや、もう少し詳しく証明があったら、納得できるとは思うんだけど。


ひぐらしのなく頃に」がミステリではない理由としては、設問──「なぞ」の提示がはっきりと示されないことと、解答を導くための条件が提示されないことが挙げられるのではないかと考えている。
ミステリの多くは、解かれるべきなぞとして、殺人に代表される犯罪の真相を設定しており、通常はっきりとなぞが提示される場合以外は、その犯罪の真相が「なぞ」である、というのが暗黙の了解となっている。
ひぐらしのなく頃に」で解かれるべきなぞとして最終的に設定されるのは、殺人の真相ではなく、「どうすれば○○となることができるか?」という点になっている。これは、シリーズの解決編に入ってから、やっとわかり始める設問になる。
(少なくとも、問題編をやった時点では気がつかなかった)
クイーンで言うと、読者への挑戦が終わったあとに、やっと殺人事件が起こるようなもの。
あと、その設問が提示されたあとも、条件というのは難しいと思われる。
通常、ひぐらしのような構造を取る場合には、連続性というものが重要になる。
これは、前と後ろが連続でない場合(=話が断絶している場合)は、前の段で提示された条件=証拠が、後ろの段で使えるかどうかわからないからだ。
例えば、学校の数学のテストを思い出してみると良いと思う。
あれは、同じ領域の問題を扱っていても、前提条件が違えば答えもかわってくる。
「三角形の残りの辺の長さを求めろ」という問題でも、2辺の長さが違えば、残る辺の長さは自ずとかわってくる。


ただ、「ひぐらしのなく頃に」は、ミステリじゃないかもしれないけど、いわゆる「広義の」ミステリーには十分入ると思うし、エンジェルモートの制服は非常にすばらしい。あと、梨花ちゃんはかわいい。沙都子のにーにーも良い。