夏目陽さんと秋山真琴さんの往復書簡について

http://d.hatena.ne.jp/sinden/20080828/1219879301
http://d.hatena.ne.jp/natume_yo/20080905/1220623606
文学について、ということでかわされている往復書簡ですが、なかなかにうまい反応をかえせません。
これは、いち傍観者としてなんとも心苦しいところ。
夏目さんの第四信なんか、結構鋭いあたりに切り込んでるんと思うんですが。


たぶん、二人が語っている文学観と、自分が思っているところに(おそらく)隔たりがあるのが、その原因かな、と。
文学、っていうくらいなんだから、「文章で書かれたもの」と考えればいーじゃん、と簡単に考えています。
文学とは、あくまで表現手段のひとつであると思います。
文学という言葉は、あくまでフォーマットであり、その中身=コンテンツとは分けて考えることができるんじゃないかと。


つまり、自分の中には、コンテンツとしての文学という意識がないため、どうしてもこの議論に踏み込んで行けないわけです。


逆に、どうしてそこまで文学という概念を広げて行かなければならないのか? が見えてきません。
以前も書いたような気がしますが、表現物なんてずっと昔からあったわけで、それをわざわざ文学という概念を使って表すのはなぜなのでしょうか?


で、夏目さんの第四信について。

言い方を変えれば、馬鹿に文学は届かなくても一向に構わないということです。

というのは、なかなか刺激的な表現だな、と。
しかし、バカ、とは言わなくても、それを必要としている人にだけ届けば良い、という意味であれば同意です。
というより、小説──特に純文学系なんて、そう言う意識がなければ面白いなんて思って読めるもんじゃないので。


文学に限らず、どんなものでも、それぞれ各人が必要とするものを楽しめば良いと思います。


……やっぱり、うまくまとまんないな。

[Today's tune]Hot girl in black leather/ZIGGY