作品はどの時点で生まれるものなのか考えてみた

今回の連休は、弟の結婚式だとか祖父の墓参りだとか幼馴染みと会うとかで、北海道に帰っていました。で、ちょっと時間が空いたので、道立美術館で行われている特別展「書物の美〜明治・大正期の詩集〜」を見てきました。
http://www.h-bungaku.or.jp/exhibition3/2012/syomotsu.html


まずは、萩原朔太郎の「月に吠える」の初版本展示に興奮!
これ、いくらで手に入れられるのだろう? とか考えたりしてました。

で、いろいろ考えるきっかけになったのは、萩原朔太郎

本の装幀といふものは、絵における額縁みたいなものである。
〜(中略)〜
最良の装幀者は、内容を最もよく理解してゐる人、即ち著者自身だといふことになる。
〜(中略)〜
そこでいちばん善い方法は、自分の芸術をよく理解してくれる画家を見つけて、一切表装等をたのむのである。


萩原朔太郎「日本への回帰」より

という言葉。


萩原朔太郎の頃よりも、自分自身で装丁までやってしまうというのは、容易いことになっています。一から絵が描けないとしても、いろいろソフトを使えば、それっぽいものができるようになっています。
中の組版はインデザを使えばできるし、表紙なども、イラレ、フォトショなどを使って写真の加工などでやれば、絵が描けなくても本は作れます。
ただ、それが、自分がイメージする本なのかどうかは、またちょっと別な話。
イラストが描けなくても、イラストで表紙を飾りたい! と思うことはあります。
この、自分が思うことと、自分のできる間のギャップがあるがために、本を作ることは難しいと思うのです。


自分の話だと、思索部はトウカさんに表紙イラスト、表紙デザインをお願いしています。
これについては、もう、萩原朔太郎が言う「そこでいちばん善い方法は、自分の芸術をよく理解してくれる画家」そのもの! という感じで、理解してくれるというよりも、むしろ、一緒に思索部を作ってるというイメージです。今まで、そこまでしてもらって幸せだ! と思ってたわけですが、さらに幸せ! と深く思ったわけです。
もう、これは本当に嬉しいなぁ。


と、嬉しい話はこれくらいで、考えたのは、思索部以外の小説──例えば、魔法メイド少女きよちゃん
ぼくがきよちゃんでやっていることは、中の文章を書くことだけです。
もちろん、その中身に全力を尽くしているわけですが、ぼくの手を離れたところで、表紙イラスト、装丁などなどが、素敵なものに仕上がっているわけです。
もちろん、カトゆーさんのかわいいきよちゃんとベルちゃんから新たな世界が広がることもありますが、元々のきよちゃんの企画も、自分で完全に創り上げたわけじゃないので、「ぼくのきよちゃん」というよりも、「みんなのきよちゃん」という意識の方が強いわけです。
ぼくが文章を書いて、カトゆーさんのかわいいきよちゃんベルちゃんがいて、素晴らしい装丁があって──と、何人もの手を経た上で、きよちゃんの物語を届けることができているのです。


そう考えていくと、思索部もきよちゃんも、根本の部分は変わっていなくて、萩原朔太郎が言う「自分の芸術をよく理解してくれる画家を見つけて、一切表装等をたのむのである。」というところから一歩進んで、「自分とともに芸術を創り上げてくれる画家(イラストレータ、編集者)を見つけて、ともに表装等を創り上げるのである。」ということができるんじゃないだろうかなぁ、と思ったりしたのです。


札幌の道立文学館は、札幌市中心部の中島公園の中にあります。
5月の札幌は、ちょうど桜が咲いたところでした。
東京の桜とは、少し違う札幌の桜。とても、とてもきれいでした。