ひぐらしのなく頃に解 目明し編

というわけで、目明し編
あれだから、絶対にアレなんだろうとは思ってたんですが、そんな昔からアレだったとは。
早くても、中盤から後半からだろうとは思ってたんですが。
なかなかにびっくりでした。
しかしながら、解決編と言っても、別に全部が解決される訳じゃないんですね。
ミステリものからすると、この据わりの悪さというものがどうしようもなく。
再三書いていることですが、断絶している時点で、それは同一の事件ではなく、目明し編だった、アレを裏から描いたものだ、という確証があるわけではなく。まぁ、そうやって疑い出すとすべてが信じられなくなるわけで。
ええと、ミステリを解く上での大前提としてあるのが、記述の妥当性な訳です。
だからこそ、アクロイドはどうなのか? と疑問をていされることがあるわけだし、叙述トリックは純粋に読者に対する問題になるわけです。(あくまで記述を判断できるのは読者であるため)
ひぐらしのなく頃にの特異な点は、妥当であるかの判断ができない記述が、平行していくつもあり、さらにはそれらが互いに補完しあっているように見える、という点です。真実本格ミステリであるのなら、それぞれが独立して妥当な記述を持ち、他の文章が無くても事件の真相が見渡せるものでなくてはないのです。
そして、本格ミステリでないのなら、それは真実を明らかにすることができない、ということを意味するものになります。
……まぁ、本格ミステリ中毒患者の妄想として、聞き流してください。


で、そんなことはどうだって良いんだ。
問題は、詩音が萌えるということだっ。
おーれーもー詩音なーでーなーでーすーるー
やばい、やばいですよ。くふぅ、きゅう。
だから、それだからこそ、ラストシーンが、辛かった。


自分は、ちっぽけな存在で、誰の役にも立たない、屑にも値しないような存在だけど、だからこそ、自分に繋がる人には、幸せを祈らずにはいられない。
世界中には、自分じゃどうしようもない悲しいことがたくさんありすぎるけれど、その少しでも、悲しみが減るとしたら、そのためには命を投げ出したってかまわない。
……そう思うんだけど、結局自分なんて、何もできないんだ。
死にたい、と思うことにすら、飽きた。

[Today's tune]Penny Lane/The Beatles