日蝕(平野啓一郎)

日蝕 (新潮文庫)

日蝕 (新潮文庫)

CNET Japanの江島健太郎さんのblogで、平野啓一郎梅田望夫の対談に関するエントリがあって、それから数回平野啓一郎本人からのコメントと、それに対するエントリがあって、非常に興味深い内容だったので、一月物語しか読んでいなかった平野啓一郎を読んでみようと思ったわけです。
http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/002805.html
日蝕芥川賞を受賞した当時は、最年少受賞と言うことで話題になったわけですが、それから数年経ち、もっと若いばかりか女の子が受賞したりして、平野啓一郎の最年少というのも色褪せてしまいましたが、それら「新しい」受賞作とはやはり違うな、と。
もう、なんというか、これほどまでに「小説」というものについて深いというか、この人いったいどこまで考えてるんだ? というか。私のような浅薄な知識では、ほとんどついて行けることなどできませんでした。
最近は、なぜかどうしてか分かりませんが、「瑞々しい感性」だとか「新鮮な視点」だとか、とにかく若さとか新しさだとか、そういったものを帳票したがる傾向があるような気がしてなりません。芥川賞の彼女たちだけではなく、他の文学賞とかでも同じような傾向があるのは確かです。
確かに、昔はペンで書いていた文章が、いつからかワープロ、PCでキーボードを通した電子データとなり、さらには携帯電話の細切れの文章となり、それは文章の質とかそういったものも大きく変わるのは仕方のないことかな、とは思います。
ただ、個人的には、ペン─ワープロ(PC)よりも、ワープロ(PC)─携帯電話のほうがその間にある差は大きいような気がするんですよね。
日蝕は多分PCで書いたんじゃないかと思うんですが、例えばですが、これをペンで手書きしたといってもそれほど違和感は感じませんし、実際過去の膨大な小説を下敷きとしているこの小説は、それら過去からの連続した流れの上にあるものだと思うのです。それに対して、携帯で書いたという文章には、それらの流れのようなものがどうしても感じられないのです。
それが、良いことか悪いことか、という判断はここでは避けます。
絶対に答えのでないだろうという問いだから。
ただ、個人的な見解を述べさせて頂くと、平野啓一郎の小説を読んで、すごく衝撃を受けたし、この人と同じ方向性でいったとしても、絶対にかなうことはないだろうな、と思ったのは確かなんです。
たぶん、この人のレベルの小説家ばかりだったら、誰も自分で小説を書こうという気にはならないと思います。
それでも書こうと思う人は、よっぽどの自信過剰か、それとも異常者か。
……いや、小説を書こうという人は、元々そのどちらかか。

[Today's tune]Hi Baku Shyo/This Heat