小説を読むことと小説を書くこと

小説を小説として意識して読むようになったのは、高校生の頃だった。
高校の頃は、村上龍だとか芥川だとか太宰を読んだりしていた。
SFもミステリも、全くと言っていいほど読まなかった。
ライトノベルも読んでいたけれど、絶対量はそのほかのものが多かった。
そのころは、自分で小説を書こうとは考えていなかった。
いや、文章を書きたいとは思ったことはあったが、書きたいことが思い浮かばなかった。
誰かに伝えたいことが、なかった。


大学に一発で入り損ねて、札幌で予備校の寮に住んでいた頃、友人に貸してもらってすべてがFになるを読んだ。
夏前には、すっかりミステリ好きになっていた。


そして、1年遅れで大学に入って、自然に推理研に入った。
夏前には、一番はじめの小説を書いた。
相変わらず、誰かに伝えたいということは乏しかったけれど、ミステリがもつ、儚さというか哀れさというか、絶望感のようなものが自分に合ったのだと思う。
ーー最初に書いた小説のテーマは「桜」だった。
今になれば、恥ずかしいような内容だったりするが、未だに消さずにサイトに載せている。興味ある人は、嘲笑ってください。


それから多いのか少ないのかわからない量の文章を書いた。
良いものは、多分ない。
それでも書いてきたのは、書かなければいけなかったから。
はじめは、書くことがおもしろかったかもしれない。
けれど、今は違う。
強迫観念。生きるために仕方がなく。
やめることで平穏が訪れるなら、喜んでやめよう。
けれど、筆を置いた後に待っているのは、死に至る病
緩慢なる終わり。最期まで続く停滞。
誰かに、ちょっとでも伝えたい、そう思っていたことは、いつの間にかどうしようもない絶望の叫びになっていた。


だから、書かなきゃいけない。


と、ここまでが行数稼ぎの転載です。
上記の通り、はじめに書いた小説のテーマは桜でした。
それから、同じく桜をテーマにした小説をいくつか書いています。
桜の花の舞い散る下で(http://page.freett.com/k_kazuto/TEXTS/novels/novel1.html)が始め。
次が、桜の花が咲く音(http://page.freett.com/k_kazuto/TEXTS/novels/novel5.html
で、城春にして(http://page.freett.com/k_kazuto/TEXTS/novels/novel18.html
年を経る毎に短くなっていくのかな? かな?
とりあえず今年は書けそうにないので、これくらいでお茶を濁しておこうかと。

[Today's tune]Don Quijote/eastern youth