女王様と私(歌野晶午)

女王様と私

女王様と私

と言うわけで歌野晶午です。
まぁ、こんな話なんだからそうなんだろうなぁ、と予想していた通りのエンディングの救いのなさ。まさか、この人が家シリーズ書いてたなんて、もはやほとんど信じてもらえないんじゃないだろうか、と。
とりあえず、こういうトリックを惜しげもなく使える歌野先生はすごいと思いましたよ。
まさか、あれをあそこでばさっと使っちゃうのはもったいないくらいで、今の流行から言えば、中のトリックはそれほど作り込んだものじゃなくても良いというのがあると思うのですけど、逆に言えば、そこにどれだけ力を入れられるのか、というのが重要なのかなぁ、とか。


歌野晶午の特徴として、細かい作り込みというのがあるんじゃないかと思います。
作り込み、というのがおかしければ、リアリティというか、詳しい描写というか。
残念ながら小学校高学年の女の子には詳しくないので、そちらのほうの描写がどうなのかは知りませんが、主人公側は、あ、こういうやつ秋葉原行ったらいるだろうなぁ、という感じでした。……自分? いや、一応職はあるんで。
23章とか、ほんきで頭痛くなるかと思ったですよ。
そうじゃない人がこういう狂ったような言動を書こうとしても、どうしても嘘くさくなってしまうものですけど、歌野先生の場合には、ほとんどそういうことを感じさせずに書くというのがすごいと思います。
普通こういうのを書こうとしたら、すぐに叫ばせたりだとか、そんなふうになりますよ。
事実、幻影城出身のとあるエンターテインメント系の作家は、悪役と言えば叫ばせておけば良い、と思ってるような節がありますからね。
今日の夕方のニュースショーで、引きこもりの息子を更正させようと殴る蹴るの暴行を加えたり水を頭からかけたりと虐待の限りを尽くす父親の姿が報道されたりしていましたけど、ああいうのを見る限り、引きこもりというのは社会通念的には人権を認められていないようなものなので、その通念を自覚的に使ったと思われる歌野先生はさすがだなぁ、と思うですよ。
……ところで、歌野先生はこういう引きこもり事情はともかくとして、小学生の女の子の流行だとかそういうのをどこから仕入れてくるんでしょうね?


実際のところ、この連休中コンビニに行ったりするくらいで、事実上精神的引きこもり状態だったわけなんですが、なにげに明日も代休を取って休みだったりするので仕事には行かないわけです。でも、外に出続けないというのも何か悪い気がするので、とりあえず秋葉原にでも行こうかと思います。

[today's tune]ベイベ/大正九年