アンチ・マジカルとウォッチメン

一部で話題になってる「アンチ・マジカル〜魔法少女禁止法〜/伊藤ヒロ」について、ちょっと何か言っておこうと思います。

アンチ・マジカル ~魔法少女禁止法~ (一迅社文庫)

アンチ・マジカル ~魔法少女禁止法~ (一迅社文庫)

「アンチ・マジカル」のあらすじは、

魔法少女禁止法』制定から10年。
一切の魔法少女活動が禁止された世界で、
引退を拒否して非合法のまま活動を続ける魔法少女がいた──。
気弱で女の子みたいな所のある少年・佐倉真壱は、
彼女に助けられたことがきっかけで女装魔法少女となり、
魔法少女達を狙って起こる事件を追いかけることに……。


裏表紙のあらすじより

というわけで、アメコミ原作の映画「ウォッチメン」とあらすじが非常に似ていることで話題となっています。

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さて、このアンチ・マジカルとウォッチメン
各所で指摘されている通り、共通点が非常に多いです。
というより、あとがきでも、作者がウォッチメンを元にしているというようなことを書いています。
ただ、アンチ・マジカルとウォッチメン、確かに共通点は多いし、
ウォッチメンでの「ヒーロー」を「魔法少女」に置換するという発想はすごく面白い。
そして、面白いだけじゃなく、良く料理してると思います。
こういううまさがあるからこそ、どうしても思ってしまうんですが、
「アンチ・マジカル」って「ウォッチメン」と比べると、薄いよね、と。


そりゃ、名作アメコミが原作の映画と、1冊の小説を比べて何を言ってるんだ? と言われればそれまでですけど、それでも、やっぱり言わずにはいられない。
ただ、この「アンチ・マジカル」の薄さ(軽さと言い換えても良いかもしれない)は、作者、小説の生だけではないと思うんです。
#だからこそ、こうしてエントリを書いてるんですけど。


ウォッチメン」の「重さ」というのがどこから来ているか? というと、やはり「アメリカ合衆国」という国から来ているのではないか? と思います。
狂乱の30年代を超えて、第二次世界大戦で世界の主役に躍り出て、核という絶対的な力を手に入れ、泥沼のベトナムから這い上がり、世界の半分を手中に収め、文字通り二十世紀の主役であった「アメリカ合衆国」。
ウォッチメン」で描かれるのは、そんなアメリカとともにあったヒーロー達の姿です。
世界とともにあったヒーロー達の光と影。
その誕生と、最期の姿。
それが「ウォッチメン」でした。


それでは、「アンチ・マジカル」はどうなのか? と考えると、どうしても「日本」という国の弱さ──言い換えると、二十世紀後半における日本という国の影の薄さが、アンチ・マジカルの軽さ/薄さに繋がってるのではないか? と思うわけです。
「アンチ・マジカル」で設定された敵は、異世界からの侵略者。
魔法少女もののお約束ではあるけど……
ウォッチメン」が世界を──言い換えると、歴史という(フィクションではあるけど)圧倒的な現実を相手にしていたのに対して、「アンチ・マジカル」は「異世界」=「フィクション」「ファンタジー」を相手にしていました。
まるで、日本が「バブル」という虚像に踊り狂ったのと同じように。
そして、90年代が「失われた10年」と呼ばれたのと同じように。


「アンチ・マジカル」の魔法少女達が戦ったものは、いったいなんだったのか?
作中では、彼女達が活躍したのは、92年から97年と記述されています。
現実の歴史では、バブル崩壊後、まさに失われた10年のまっただ中なわけです。
彼女達が戦ったファンタジーは、虚無と消えました。
虚無と消えたあと、彼女達がどうなったか? は実際に読んで確認してもらうとして、
虚無の向こうに何を見るのか? 何を見せるのか?
というところを、次巻でぜひ確認したいと思います。
#次が出ればだけど……