SHIROBAKO23話の感想と繰り返される問題について

先週まではこちら。
SHIROBAKO14話に見るプロジェクトリスク
SHIROBAKO15話の感想と問題分析について
SHIROBAKO16話の感想とリスク対応について
SHIROBAKO17話と緊急の対応とメンバの個性について
SHIROBAKO18話の感想と成果物のクオリティコントロールについて
SHIROBAKO19話の感想とモラルマネジメントについて
SHIROBAKO20話の感想とコミュニケーションについて
SHIROBAKO21話の感想とクオリティとスケジュールだけじゃない話について
SHIROBAKO22話の感想とノンオフィシャルなコミュニケーションについて


いやぁ……良かった……良かったですね……。
というところは置いといて、心を落ち着けて今週の感想です。


SHIROBAKO15話の感想と問題分析について
SHIROBAKO16話の感想とリスク対応について
というあたりで書いたネタの繰り返しでした。
前回はメールで原作者に確認を取っていましたが、今回はまた編集までしか確認を取っていなかったがために、最終話のコンテNGという事態に陥りました。
作中及びTwitterなどでの反応を見ても、
「編集者が悪い!」
という声が大きいですが、問題はそこにはありません。
彼が問題だとして、今回は彼を外せばそれで良いかもしれませんが、第二、第三の茶沢氏が現れないとも限りません。問題の原因を個人に負わせるというのは、わかりやすいし、追求もその原因の排除も楽です。
しかし、それでは問題の根本的な解決にはなりません。
そうやって、誰かのせいにして単純にその人物の排除だけを行ったからこそ、前回と同じ過ちを繰り返してしまいました。


それでは、今回の事態は避けられなかったのか? という点ですが、最終的に原作者と監督が話して丸く収まっているので、避けられたはず、というのが答えだと思います。
最初から、編集ではなく原作者のチェックまでしてもらっていれば、もっと早い段階で対応できていたのですから。
また、原作者とアニメ側が会うことについても、最初から「編集者の意思」ではなく「出版社の意思」を確認していれば良かったはずです。判断しているのが個人なのか会社、組織なのかを見分けるためには、各部門、会社の担当者をひとりにさせないということがやりやすい手です。おかしい、問題がある、と思った場合には、もうひとりにも判断させる。それが、個人ではなく会社としての判断だと言わせることが必要です。


今回の話だと、出版社側は原作者の意向を第一に考えています。
もちろん、アニメ制作側も原作者を重要に考えています。
だからこそ、キャラクターデザインやコンテのチェックなどを依頼しているわけです。
しかし、それならばもっと早い段階で──そもそもの企画段階から原作者と会話して意向を確認することは必要なことだったと思います。
それを曖昧にチェックだけしてもらっていた、というのは、仕方がなかったとはいえ、問題がなかったとは言えないでしょう。


なぜそのような曖昧なことになっていたのか? という点については、いくつかの理由が考えられると思いますが、やはり、プロジェクトオーナーとして、プロジェクト全体についての最終的な責任を持つのは誰なのか、というのが曖昧になっているのが最も大きな問題だと思います。
責任を取るのが監督であるなら、もっと強権を発動させて、早い段階で原作者と会うべきです。原作者であるなら、もっと積極的にアニメ制作側と関わるべきです。出版社が責任を取るというのであれば、原作者の言葉を伝えるだけではなく、それに対してどのような対応を取るべきなのかを答える必要があるでしょう。


結局のところ、

  • プロジェクト体制の曖昧さ
  • コミュニケーションマネジメントの曖昧さ
  • 意思決定機関の曖昧さ

というのが、もろもろの問題の原因として横たわっているように見えます。
#SHIROBAKOはフィクションなので現実のアニメ制作についてはこの限りではないと思いますが。


何度も書きますが、誰か個人が問題ではありません。
Twitterをみると、編集者が悪い、編集者が悪、という意見が大勢をしめています。
そして、そういう反応を見て、実際に編集に携わってる方が気を悪くしているのも見かけます。
問題は個人ではなく、組織にあります。
そして、その問題は解決が可能な問題です。


で、やっぱりあれですね。
ずかちゃん、良かった……良かったよぉ……。
キャサリンの妹が……というところで展開はなんとなくわかったけどさぁ……。
セリフもずるいよぉ……。
もう、みゃーもりといっしょに泣いてたよぉ……。


それでは、みゃーもりの涙を集めて沸かしてコーヒーを淹れる作業をしてきますね。