第六大陸2(小川一水)

第六大陸〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

第六大陸〈2〉 (ハヤカワ文庫JA)

……ええと、やはり最後の敵は人間と言うか社会だったという事で。
技術的にはどうかは分かりませんが、社会情勢はちょっと楽観的な、でも、素敵な小説でした。
しかし、あれですよ、泰の最期が良すぎですよ。エンジニアとして最高の瞬間にあんな事になるなんて、役者が舞台の上で死にたいとか作家がペンを握ったままというのと同じですよ。もう、すごく良いなぁ。
というわけで、エンジニアの端くれとしてちょっと一文を。
ハードとソフトの違いはありますが、トロフィーに対して泰のとった態度こそ、オープンソースの考え方と根っこは同じなんだと思います。技術の公開とそれによる更なる発展。裁判の時のNASA長官の演説も、趣旨は違いますが基本的には同じ考え方の下にあります。
1巻での、たとえトロフィーが世界中に公開されて普及したとしても、自分たちが一番だという八重波の台詞と、NASA長官の強力なライバルに出会ったときに、真の底力を発揮する。しかし、自分たちこそが宇宙を切開くものだという自負。両方とも、自分の技術と能力に地震があるからこそ出てくる言葉なんだと思います。
そういう自身が無いから、変な訴訟を起こしたりするんですよ。
最近話題になっている一太郎が松下の特許権を侵害しているという訴訟。松下は確かに裁判には勝ちましたが、長期的に見て、負け、といっても良いのではないでしょうか? いったい、今回の裁判で松下は何を得る事ができたのか?
ハードよりもソフトが重視される昨今のIT業界、確かにソフトウェアの著作権などは大切な問題ですが、それは違うだろう……というのが、今回の判決に対する感想です。
これからのソフトウェアに対する態度としては、オープンにしていくところと保護される部分をはっきりさせていくのが必要だと思います。Linuxのように、公開する事で発展していくものは多くあり、オープンソースというものは非常に重要な概念だというのが良くわかります。けれど、どれもオープンにすれば良いというのではなく。各種アプリケーションなどは、十分に保護される必要があると思います。それが、多大な労力をかけて作られたソフトウェアに対する対価だと思うので。
とりとめがなくなりましたが、お金だすんだから良いの作れよーというのと、ただ(もしくは限りなく安い)なんだから自分でなんとかすれよー、というのがユーザ側からみた違いじゃないかと思ったりします。大雑把ですが。
エンジニア側からだと、どうやってやったかは秘密だけどこんなすごいんだからお金払ってね、後々までちゃんと面倒見るよー、というのと、どうやってやるかも全部公開するよー、しかもそれほど高くないよー、そのかわり使うのにはいろいろと知らなきゃ駄目だよー、ついでに、できれば良い感じに改良してねー、元ネタちゃんと明記してくれればお金儲けに使っても良いよー、でも、できればその作ったのも同じようにして公開してくれれば良いなー、というのが違いかなぁ、と。

[Today's tune]水の中のナイフ/ART-SCHOOL